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2021/7/24

山口財閥・三和グループ  財閥(日本・世界)




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山口財閥とは、大阪を拠点とする山口家が設立した株式会社山口銀行(株式会社三和銀行、株式会社UFJ銀行を経て、現 三菱UFJ銀行)や日本生命保険株式会社(現 相互会社)などからなる関西に金融財閥です。 現在、山口県に山口銀行がありますが、資本的には無関係です。

山口家の先祖・山口半兵衛(1761-1813)は、1770年代に奈良の山口村(現 葛城市)から大阪に出てきて呉服店を興しました。

半兵衛の子、初代・山口吉郎兵衛(1797ー1867)は「布屋」の屋号を名乗って、舶来反物商をはじめ、養子の二代目・山口吉郎兵衛(1819ー1871)が積極的な商法で家業を拡大、のちに両替商に転身しました。

三代目・山口吉郎兵衛(1851ー1887)は、1879年に第百四十八国立銀行を設立。1896年に国立銀行の私立銀行への転換が可能となったため、山口家は1898年に個人経営の山口銀行を設立し、第百四十八国立銀行の営業を引き継ぎました。




総理事・町田忠治の改革

山口銀行は「銀行」の看板を掲げてはいましたが、行員は和服で前垂れ掛けという、江戸時代の両替商と変わらぬ前近代的な経営でした。 支配人の越野嘉は丁稚時代から山口家に仕え、学はありませんでしたが、この状況を憂いていました。

1899年にストライキ事件で日本銀行の理事、支店長らが十数人規模で辞任すると、越野は日本銀行OBの日本生命保険社長・片岡直温に人材のあっせんを依頼。 元大阪支店次長各の
町田忠治(1863−1946)を山口銀行総理事に迎えました。

町田は人材の招聘、店舗の増設、預貸率の見直しなどの改革を実施。 山口銀行は順調に業績を伸ばし、1910年頃には大阪を代表する銀行の一つになりました。 山口銀行は1917年に株式会社山口銀行に改組し、株式公開して資本金を100万円から2000万円に増資しました。

町田忠治は後任に日本銀行OBの菅沼達吉(俳優・森繁久弥の実父)を考えていましたが、片岡直温が菅沼を大阪電燈会社(現 関西電力株式会社)の重役に抜擢したたため、片岡と意見の齟齬を来しました。 当時、片岡は大阪財界の有力者だったので、町田は苦しい立場に追い込まれ、1910年に山口銀行を辞しました。

町田の後任には、三菱合資銀行部(のち株式会社三菱銀行を経て、現 株式会社三菱UFJ銀行)大阪支店長の坂野兼道(1863-1931)が選ばれました。 なお、坂野は、NHK朝の連続ドラマ小説『べっぴんさん』の主人公・坂野すみれのモデル、坂野敦子の義父(夫・坂野通の父)にあたります。

坂野は持ち株会社として1920年に山口合資を設立。 銀行以外の金融部門に多角化し、持ち株会社を頂点とした財閥形成を目論みました。 山口財閥は銀行を中心に発展し、1910年代以降には生命保険、損害保険、貯蓄銀行、信託銀行に多角化していきましたが、戦時下の合併で支配力を失っていきました。




山口財閥の多角化

国内最大の生保・日本生命保険は、実は山口財閥の傘下企業でした。 もっとも、創業者は山口家ではなく、日本生命保険は、1889年に滋賀県彦根の資産家・弘世助三郎(1843ー1913)により、有限会社日本生命保険会社として創設されました(1888年に日本生命保険株式会社に改組)。

創業当時、生命保険業は世間に認知されていなかったため、大阪きっての大富豪・鴻池善右衛門を社長に据え、信用補完を図りました。 ところが、1900年初頭に鴻池家が堅実路線に転換し、日本生命保険の株式を売却しました。 町田は生命保険業の将来性を考え、片岡友相談してその株式を取得し、山口家を筆頭株主としました。

こうして1919年に四代目・山口吉郎兵衛(1883ー1951)が日本生命保険会長に就任しましたが、実質的な経営は弘世一族が担っていました。 損害保険分野では、第一次世界大戦による開運・保険ブームで急成長を遂げたのを受け、共同火災保険株式会社(1906年設立)の株を徐々に買い増し、1917年に筆頭株主となり、山口銀行から会長を送り込みました。

大阪貯蓄銀行株式会社は、1890年に元日本銀行大阪支店長・外山集造が設立。 信用補完のため、鴻池善右衛門を初代頭取に迎えましたが、ここでも鴻池家は撤退したため、株式を買い増し、1916年に四代目・吉郎兵衛が大阪貯蓄銀行頭取に就任しました。

関西信託株式会社は1912年に設立されましたが、投機的な経営が批判を浴び、1916年に創業者が退陣。 翌年に山口家が過半数の株式を押さえ、その支配下に置きました。

意外なところでは、カーペット製造の東洋リノリウム株式会社(現 東リ株式会社)の創業を支援し、その株式を取得し傘下に収めています。

山口財閥は、自ら企業を設立するのではなく、既存企業を買収して多角化していきました。 そのため、持ち株会社・山口合資は傘下企業を支配するにあたって、必要最低限の株式を曽有するにとどめ、山口家からトップを派遣し、専門経営者に経営を任せる手法を取りました。




山口財閥の消滅と三和グループの形成

1927年の昭和金融恐慌で多くの銀行が業績不振に陥り、その局面打開のため、1932年、大阪の有力銀行であった三十四銀行は、山口銀行、鴻池銀行との参考合併の斡旋を日本銀行大阪支店に申し入れました。

1933年12月に三行は合併し、当時国内最大規模の銀行・三和銀行(現 三菱UFJ銀行)が誕生しました。 頭取には、合併を推進した日本銀行大阪支店長・中根貞彦(1878-1964)が着任しました。 中根は新銀行の融和を重視し、旧行意識の排除・刷新を進めていきました。 そのため山口銀行は筆頭株主ではありましたが、三和銀行に対する支配力を急速に失っていくことになります。

大阪貯蓄銀行は、1945年の貯蓄銀行9行の合併に合流し、日本貯蓄銀行となり、山口家の支配から離れました。 なお、日本貯蓄銀行は1948年に普通銀行へ転換し、協和銀行(あさひ銀行を経て、現りそな銀行)となりました。

関西信託は、三和銀行の合併に伴い、1941年に鴻池信託、共同信託と合併して三和信託となり、最終的には三和銀行に級数合併されてしまいます。

共同火災保険は、1944年に横浜家裁保険、神戸海上保険、朝日海上保険と合併し、同和火災海上保険(現 あいおいニッセイ同和損害保険)となっています。 山口家は共同火災保険の筆頭言いながら株主とはいいながら、15%程度の株式しか持っておらず、経営への関与も積極的ではなかったため、合併後は旧神戸海上保険のオーナーであった岡崎家に支配権を奪われてしまいました。


唯一、大型合併を経験しなかった日本生命保険は、戦後、GHQの指導で相互会社に転換し、山口家は大株主の座から追われました。 日本生命保険は戦前、山口家が筆頭株主として君臨し、弘世家が実質的な経営を担っていました。 しかし、戦後、弘世現は1948年から1982年まで社長に就任し、長期政権を樹立。 日本生命保険は「弘世家の会社」になっていき、山口色は完全に払拭されてしまいました。 ただし、旧山口財閥の関係で、三和銀行と日本生命保険、日本生命保険と同和火災海上保険との間に親しい関係が保持されていました。




三和グループの形成

三和銀行は六大都市銀行の一角を成し、戦後、三和グループを形成しました。 三和グループは財閥的な出自をほとんど持っておらず、都市銀行(三和銀行)が融資先の企業を集めて企業集団を形成いたものです。 その点では芙蓉グループの富士銀行(旧安田銀行)の立場に近いものがありますが、三和グループの中核を担っていた三和銀行は、富士銀行ほど戦略的に企業集団形成を企画していたわけではありませんでした。

富士銀行や第一銀行が親密企業を結集させ、企業集団を形成していく中で、三和銀行とその親密企業が焦って社長会を設け、企業集団の体裁を整えようとしたに過ぎません。
1966年12月、三和銀行の本館と別館の落成式に、有力取引先の会長や社長を招いて講演会が開かれました。 その席上で出席者のなかから「相互の連絡を密にし、お互いの啓発をはかるために継続的な会合を持ちたい」という提案が期せずして起こりました。 これに応えて、1967年1月、三和銀行が有力企業トップを集めて会合を催したのが、社長会「三水会」(毎月第三水曜日に開催)のはじまりとされています。




クローバー会の結成

通常、社長会に参加する企業が企業集団の構成企業と認識されています。 しかし。三和グループの場合は、日本生命保険、日立製作所、日本通運、日商岩井(現 双日)など本当に三和グループとして見なして良いものか、疑問符が付く企業が多くありました。
日本通運と日商岩井は、一勧グル-プの社長会にも参加し、比日立製作所は芙蓉グループと一勧グループに参加しています。

企業集団の結束度を測る指標といわれている株式持ち合いは、比率こそ他の企業集団と遜色ありませんが、三和銀行に次ぐ大株主・日本生命保険が「当社を三和グループとみられるのは心外」(『企業系列総覧』)と語る有様。 さらに事業会社間の株式持ち合いは明らかに進んでおらず、実態がともなっていません。 そこで、1996年6月に三和銀行は三水会とは別に、新たに親密企業の企画担当専務クラスを集めて、積極的にぐル-プ活動を行う実務部隊「クローバー会」を発足させました。

グループ企業間の営業斡旋の強化や共同事業の推進を通じて、グループ結束を強めることを狙ったのです。 また当時、脚光を浴びつつあった海洋産業、情報産業、都市再開発産業といった新産業を立ち上げることで、企業集団の有効性をアピールしようとしました。

これらの新産業は、巨額の資金や多様な技術、豊富な人材を必要とするため、単独の企業では進出不可能な分野でありました。 企業集団の有効性を訴えるには好都合であり、すでに他の企業集団でも共同投資会社を設立していました。

こうして、クローバー会は共同投資会社(東洋海洋開発、東洋総合開発、東洋石油開発など)を次々と設立しましたが、1970年代後半のオイル・ショックで、すべてにブレーキがかかってしまいました。 これらの共同投資会社で、現在でも活動しているのは東洋情報システム(現 TIS)くらいでしょう。





都銀再編と三和グループの消滅

1999年の都銀再編で、三和銀行はさくら銀行(旧三井銀行)に経営統合を迫りましたが、さくら銀行は住友銀行との統合を選びました。 相手を失った三和銀行は、東海銀行、あさひ銀行連合(1998年に業務提携)に割り込み、2000年に三行経営統合を発表しました。

しかし、スーパー・リージョナル・バンク(地域に特化した大規模銀行)を志向するあさひ銀行と、総合金融グループを志向する三和銀行の路線対立が起こり、東海銀行は三和銀行に同調、ああさひ銀行は離脱しまいます。 2001年に三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行は共同で金融持株会社・UFJホールディングスを設立してその子会社となり、翌2002年に三和銀行と東海銀行が合併し、UFJ銀個となりました。

「UFJ」とはUnited Financial of Japanの略です。 UFJを設立した2002年頃、「三水会」に東海銀行の融資先企業の一部を招聘し、新たに「水曜会」を設置しました。 しかし、三和銀行は東海銀行との経営統合にあたって、所有する三和グループ企業の株式を大幅に売却し、グループ企業と距離を置き始めました。 しかも三和グループの実質的なグループ運営を担っていた「クローバー会」を解散してしまいました。

さらに、2004年にUFJホールディングスは経営危機に陥り、三菱東京フィナンシャル・グループに救済合併され、三菱UFJフィナンシャル・グループとなってしまいました。 UFJ銀行も東京三菱銀行(旧 三菱銀行)と合併して三菱東京UFJ銀行(現 三菱UFJ銀行)となりました。

UFJ銀行では、旧三和銀行が主導権を握りましたが、三菱UFJ銀行では完全に旧三菱銀行が掌握するところとなり、以後、三和銀出身の頭取は出ていません。

盟主・三和銀行が埋没してしまった三和グループに、ビジネス上のメリットは薄く、社長会「水曜会」は存続するものの、三和グループは完全に有名無実の集団と化してしまいました。













日本三大財閥(住友・三井・三菱)の始まり
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