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2021/7/31

浅野財閥  財閥(日本・世界)




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京浜工業地帯の父 浅野財閥の創始者・浅野総一郎(1848-1930),




浅野財閥は外山出身の実業家・浅野総一郎が創設した財閥です。 浅野財閥はセメント、製鉄、造船、海運などの事業を中心とする産業財閥で、金融はもっぱら田安田財閥に依存していました。

さらに初期の浅田総一郎へ支援を惜しまなかった渋沢栄一、渋沢の甥・大川平三郎も浅田の事業に参画し、「安田、渋沢、浅野、大川の四財閥は、四人五御のチームを作って、浅野に於いて全く渾然と融けあっています。 反対を言えば、浅野は四財閥の溜であり、そして大部屋であると評されています」。

浅野財閥は財閥解体を待たずして実質的に破綻して、財閥としてのまとまりを欠いていました。 戦後、参加企業の多くは富士銀行(旧安田銀行)をメインバンクとして、富士銀行が形成する芙蓉グループの中核企業となっていきました。




初代・浅田総一郎

初代・浅野総一郎(1848-1930)は越中(現 富山県)の医師の子として生まれ、15歳で縮機(ちじみはた)や稲扱(いねこき)機販売らの事業を興し、19歳で産物会社を設立しました。

しかし、いずれも失敗し、高利貸しへの返済が滞り、1871年に夜逃げ同然で上京。 その後、竹の皮商、薪炭商、石炭商と商売を転々と変えていきます。 しかし、1875年に転機が訪れます。

総一郎は、横浜瓦斯局で廃棄されているコークス・コールタールを買い取り、石炭の代用物として官営深川セメント製造所に売却し、大きな利益を得ました。その噂を聞いた王子製作所(現 王子ゴールディングス株式会社)がコークスを購入し代用試みましたが、セメント製造と異なり代替えはできませんでした。そこで総一郎は、その使い物にならなくなってしまったコークスを、磐城炭と交換して引き取りました。 その縁で、王子製作所に石炭を納入することになりました。

総一郎の働きぶりは、王子製作所の創業者・渋沢栄一に知られ、面会を果すことになります。その後、渋沢の信頼を得て、助言と援助を受けるようになりました。 1884年には、s部沢の援助で深川セメント製造所の払い下げを受け、浅野工場を設立。 これが浅野セメント、合資会社、株式会社浅野セメント(のち日本セメント株式会社を経て、太平洋セメント株式会社)と発展し、浅野財閥の中核企業に育っていきます。

総一郎は朝6時から職工とともに働き、夜二時に起きて工場内を見廻り、セメントで喉を傷めて血を吐くほど粉骨砕身して働きました。 また技術導入にも積極的で、浅野のセメントは国内最高品質と認められるようになりました。

1899年に横浜港修理の設計と工事に携わった英国人のパルマ―は、「浅野のセメントは海外製品と比べても遜色ない」と高い評価を与え、以後、港湾建築には浅野セメントが用いられるようになりました。





浅野財閥の多角化

総一郎は、福島県磐城の炭砿に目を付け、1983年に渋沢らと磐城炭砿社(現 常磐興産株式会社。 じょうばんハワイアンセンターの経営母体)を設立しました。 しかし、磐城から京浜地区への輸送手段がなかったため、高い運送料で赤字経営を余儀なくされました。

そこで鉄道を引いて陸路を確保しましたが、海路は当時、三菱(郵便汽船三菱会社)の独擅場であり、高い石炭輸送運賃がネックとなりました。 総一郎は、海運輸送量の引き下げを期待して、三菱に対抗する共同運輸会社設立に加わりました。 海運業の対立は日本郵船設立で集結しますが、逆に運賃は引き上げられてしまいました。 寡占化した海運業に不満を持った総一郎は、渋沢の賛意を得て、1896年に東洋汽船株式会社を設立しました。

海運業への進出は、造船業、製鉄業への進出に繋がっていきました。 第一次世界大戦による活況で海運景気が起こり、船価が高騰。 総一郎は東洋汽船の船を新たに造るため、1916年に株式会社横浜造船所(のちの株式会社浅野造船所)を設立。 ところが、同年8月、わが国への最大の鉄鋼供給国だったアメリカが、突如、鉄鋼材料の輸出を禁止しました。 そこで、総一郎は、株式会社浅野製鉄所を設立します。

しかし、反動恐慌で窮地に陥り、1920年に浅野造船所への吸収合併を余儀なくされます。その後、1936年に浅野造船所は鶴見製鉄造船株式会社と改称し、1940年に同じ浅野系の日本鋼管株式会社(現 JFEホールディングス株式会社)に吸収合併されました。 総一郎は、セメント、造船所等製造業の他に、銀行や商社にも進出しました。


1916年に株式会社第5銀行を買収し、持論の勤勉主義から営業時間を夜間にまで延長し、株式会社日本昼夜銀行と開所しましました(1918年に株式会社浅野昼夜銀行と改称)。しかし、同行はしばしば業績不振に陥り、盟友・安田善次郎は総一郎に向かって銀行業兼営の非を述べ、実業家として終始するよう忠告したといいます。 総一郎はその忠告を受け入れ、1922年に浅野昼夜銀行を、安田財閥に譲渡しました。

また、191年に米グレース社と合弁で、浅野物産株式会社(のち東通株式会社を経て、丸紅に吸収合併)を設立しました。 他財閥と同様に第一次世界大戦の好景気を背景とした商社設立でありましたが、反動恐慌により経営不振に陥りました。 ただし、浅野物産は規模が小さかったため、負債は軽微で済み、その後は持ち直し、小さいながら浅野財閥の主力企業に成長していきました。





今も京阪地域に浅野の名残

この地に、浅野財閥の事業に一つに京浜の埋め立て事業があります。 総一郎は京浜・鶴見地区の砂浜を埋め立て、運河を開拓して一大工業地帯を造成する計画を練り、安田善次郎とともに同地を視察しました。 この計画には安田の地、渋沢栄一、大川平三郎らも賛同し、1914年に鶴見埋築株式会社(現 東亜建設工業株式会社)が設立され、順次埋め立て工事が着工されました。

鶴見地区一帯には株式会社浅野セメント、株式会社浅野造船所、日本鋼管株式会社、沖電気株式会社(現 OKI 株式会社、創業者一族が総一郎夫人の遠縁で、創業者の死後、総一郎が引き取って経営)など、浅野財閥の傘下企業が立ち並ぶ一大工業地帯となりました。

JR鶴見線の駅名に、今でも浅野財閥の名残が強くン請っています。 浅野総一郎に由来する「浅野」駅、浅野家の家紋(扇)に由来する「扇町」駅、安田善次郎に由来する「安善」駅、協力者の白石元次郎に由来する「武蔵白石」駅などであります。





持ち株会社の設立と解体

浅野財閥は1918年に持ち株会社の浅野同族を設立しましたが、その払込資本は「殆ど全額が安田(銀行)の担保になっている」と言われ、1920年代の昭和金融恐慌後の長期不況で、浅野同族は債務超過に陥ってしまいました。

こうした中、1930年11月、創業者の浅野総一郎が死去しました。 長男の二代目・浅野総一郎(1884-1947)は、安田保善社理事・森広蔵に支援を要請しました。 安田財閥と相談の上、1939年5月に浅野同族は解散。 1944年にあらためて株式会社浅野本社が設立されました。 浅野財閥は財閥解体を待たずに事実上、解体の憂き目を見ました。





傘下企業の株主構造と役員構成

1939年に持ち株会社が解散を余儀なくされるほどなので、浅野財閥の株式所有構造はお粗末うな限りであります。 浅野財閥単体で過半数の株式を所有している企業は少なく、東洋汽船y沖電気に至っては安田財閥の傘下に移ったようです。

ところが、役員兼任の方に目を転じてみると、浅野一族が多くの企業でトップマネジメントを構成しています。 こうした資本的な裏付けのない浅野家の支配について、「初代総一郎以来浅野一族は機能資本家であり、必要と考えられる諸会社の経営権を掌握していた無機能資本家化した三井一族が支配した三井財閥のように、重点が支配にあり、したがって過半数以上の株を所有して、資本的な支配を図る必要はなかった」との指摘があります。「」

そのため、初代・浅野総一郎の死後、彼の息子たちが数十の関係会社の取締役を兼務しました。 二代目・浅野総一郎、浅野良三が20以上の役員を兼務し、浅野八郎が15件、浅野義夫が9件。 総一郎の追いに当たる金子喜代太も15件の役員を兼務しています。

そして彼らの人物評ですが、浅野良三については「二代目としては人間の出来がよいといわれる」が、「八郎、義夫にあっては伴食(実力が無い)の感が深い」という(『浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』)。 tまり機能資本家であった初代・浅野総一郎の跡を、資本の裏付けもなく、凡庸な子供たちが継承していました。





日本鋼管の設立

旧浅野財閥の企業としては、日本鋼管株式会社(NKKを経て、現 JFEh-流ディングス)が最も有名ですが、同社は総一郎の娘婿・白石元二郎が1912年に設立したもので、他の浅野系企業と五銭を画していました。

白石元二郎(1867-1974)は越後(現 新潟県)高田藩士の子に生まれ、東京帝国大学法科を卒業、学卒者として初めて浅野商店に入社しました。 東洋汽船の設立にともない、その支配人に着任、後に取締役兼支配人となりました。 白石は総一郎を説得して巨船建造にこぎつけましたが、建造費が収益を圧迫し、その責を負って1910年に常勤役員を辞任しました。


同じ頃、大倉喜八郎が官営八幡製鉄所(現 新日本製鉄)製鋼部長・今泉嘉一郎を招聘し、鋼管製造会社の設立を予定してました。 結局、大倉は」計画を断念しmしたが、今泉は旧知の白石にこの話を持ち掛けました。 1912年、白石は日本鋼管を設立し、工場建設に着工。 1914年に鋼管製造を開始しました。 時、あたかも第一次世界大戦の勃発で、海外からの交換輸入が激減し、日本鋼管の製品は飛ぶように売れ、莫大な収益をあげました。
白石は積極的に設備増強し、日本鋼管を大きく成長させました。






戦後の動向、芙蓉グループの一員へ

戦後の財閥解体で、株式会社浅野本社、沖電気株式会社、沖電気証券株式会社、浅尾物産株式会社、日本鋼管株式会社、共同興業株式会社が持ち株会社に指定され、浅野本社、沖電気証券、共同興業が解散しました。

三菱・住友財閥は、財閥解体後も人的結束を維持し、1950年代には社長会を結成しました。 それ以外の中小財閥も、同様に社長会・懇親会を結成しました。

しかし浅野財閥ではそのような動きに至りませんでした。 既に紹介してきたように、浅野財閥では、経済的な基盤がない財閥家族が諸会社の役員をを独占していたのを、生え抜きの専門経営者は苦々しく見ていました。 戦後、浅野財閥は再結成する気運もなく、懇親会の存在すら見当たりません。 中小規模の傘下企業では、専門経営者が株式を買い集めてオーナーの様に振るまったケースすらあります。

1947年に浅野セメントは日本セメントに改称。 1961年に浅野物産は京東京商と合併、1965年に東通と改称し、1966年には丸紅飯田(現 丸紅)に吸収合併されました。 1960年に東洋汽船は日本油槽に吸収合併され、さらに1964年の海運集約で日本油槽船と日産汽船が合併して昭和海運となりました。 浅野系企業の多くは、戦後、富士銀行(旧 安田銀行)をメインバンクとし、富士銀行が社長会「芙蓉会」を結成すると、日本セメント、昭和海運、日本鋼管、沖電気工業がそのメンバーとなりました。 また、芙蓉会の中核メンバーであった丸紅飯田は、繊維商社からの脱皮を図り、富士銀行と連携して総合商社として変貌を遂げました。 その過程で、日本鋼管系の鉄鋼商社・浅野物産(東通)を吸収合併したことは、日本鋼管との関係強化、鉄鋼分野の増強策として大きな意味がありました。






さらなる合併で浅野色を払拭

戦後、「浅野」の看板を外した浅野系企業は、1990年代以降の大型合併で、浅野色を完全に払拭してしまいました。 日本セメント(旧 浅野セメント)は、1998年に秩父小野田(小野田セメントと秩父セメントの合併企業)と合併し、太平洋セメントとなりました。

同年、昭和海運(東洋汽船の後身)は業績不振を理由に、日本郵船に級数合併されました。 日本鋼管(通称 NKK)も皮さ製鉄と経営統合し、2002年JFEホールディングスとなりました。













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