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2005/6/29

映画産業-4 ハリウッドとナチス-2  映画・音楽・アニメ

ドイツ映画の歴史は、フランスと同じく古く1895年のビデオスコープの公開に遡る
事ができますが、昔ながらの舞台をそのまま映画のフィルムに収めたものとか、フランス映画の模倣に近い物があり、あまり表舞台にでてくるものではありませんでした。 

折りしも、第1次世界大戦では国策宣伝映画を作製しますが、敗北と同時に経済破綻、絶望をもたらし、ロマンチシズムの深まりを示していくと同時に、民衆の圧迫された心理状態を巧みに表現した異常心理劇として成功を収めたウイーネの「カリガリ博士」が製作されました。 さらに、ユダヤ人監督のフリッツ・ラングは、ナチスが第1党になった1932年に、「ゲシュタポ」と「カリガリ博士」を組み合わせたシナリオで、ナチスを皮肉った「怪人マブゼ博士(=ドクトルマブゼ)」を完成させました。 

しかしながら、やはりドイツでの大作は、ヒトラーの愛人レーニ・リーフェンスタール監督の、ナチス宣伝映画1936年のベルリンオリンピックの記録「民族の祭典」でしょう。



1932年に、ユダヤ人監督のフリッツ・ラングにより完成した「ドクトルマブゼ」は、ナチ批判色が強かった為、激怒したナチス宣伝相ゲッペルスは、翌年上映禁止第1号に指定しました。 しかしながら、ゲッペルスはこの監督の才能を見抜き、フリッツ・ラングを宣伝省に招き、ナチス礼賛映画制作を依頼しましたが、ラングはその夜のうちにパリに逃亡し、ハリウッドに渡り、開戦と同時に「死刑執行人」「恐怖省」などの作品を世に送り出し、ナチスへの攻撃を続けました。 ゲッペルスから依頼された映画は、ヒトラーの愛好するシラーの作品「ウイリアム・テル」で、条件としてユダヤ人のラングを「アーリア人」として認めるというものでした。

「ドクトル・マブゼ」が上映禁止となった1933年にUFA(ウーファ)が作成したのは、ナチスの宣伝映画「ヒトラーユーゲント・クヴェックス」です。

ドイツの有名な大女優である、マレーネ・ディートリッヒは、ヒトラーから熱烈に惚れられ、それを嫌ったディートリッヒは、アメリカに亡命し、ゲッペルスを激怒させる事になります。 また、オーストリア系ユダヤ人監督のビリー・ワイルダー監督はマリリンモンローの「7年目の浮気」「お熱いのがお好き」等で、オスカー賞を6回も受賞し、ハリウッドの映画産業を牽引した来た人物ですが、彼もまたナチスの手を逃れて、ハリウッドに
渡った映画監督でした。

こうして、醜悪なナチスドイツの映画界にはもはや才能ある映画人はほとんどいなくなってしまい、ナチスドイツの映画産業に君臨した女王は、マレーネ・ディートリッヒではなく、ヒトラーの愛人で、元ダンサーのレーニ・リーフェンシュタールでありました。

彼女の名前は、あまり知られておりませんが、1936年のベルリンオリンピックを映画フィルムに収めた「民族の祭典」は誰もが知るところです。 8月1日の華麗な開会式には、空軍元帥ゲーリング、陸軍元帥マッケンゼン、宣伝相ゲッペルス、ナチス総統ヒトラーの勇士が収められ、ナチスによる第3帝国の確立を祝う決定的瞬間が、大衆を扇動する巧みな技法により、全編を通して余すことなく、描き出されている物です。

1938年に、レーニは「民族の祭典」の実績と共に、ハリウッドに乗り込みますが、そこで受けた仕打ちは、ナチスの代弁者として扱われる冷酷なものでありました。 深く傷ついたレーニは、アメリカを後にし、そして年が明け、1939年には第2次世界大戦が始まります。 この年の8月31日に、パルファメト協定は切れ、翌日9月1日にナチスがポーランドに侵攻することになります。

ヒトラーに関係した、エヴァ・ブラウン、ゲリ・ラバウル、レナーテ・ミュラー、ユニティ・ミトフォードなどの女性達が、ほぼ全員自殺を遂げる事になりますが、この厚顔なレーニ・リーフェンシュタールは、戦後に自分は何も知らなかったと言い張り、「無実」を主張し、生き延びました。 また、ヒトラーやゲッペルスは映画だけでなく、音楽をも大衆扇動の道具に用い、民族主義音楽のワグナーの音楽や、熱烈なナチス党員の指揮者カラヤンも、ヒトラーの下で活躍する事となりました。 今でも、ヨーロッパには、カラヤンやワグナー禁止の劇場があると聞いています。

第2次世界大戦後は、ドイツ映画界は2分され、東ドイツは国策宣伝映画に走り、西ドイツはアメリカのハリウッドに圧倒され、東西ドイツが統一した今も、人材を失ったドイツ映画産業界の復活の声は聞かれません。






7

2006/3/17  3:44

投稿者:Renaissancejapan
あさがわさん、

レナーテ・ミュラーの間違いです、ご指摘ありがとうございました。 早速修正しておきます。

確か、ヒトラーと一緒に自殺したのは、エヴァ・ブラウン、ヒトラーの愛人とされた女性で自殺したのは、ゲリ・ラバウル、レナーテ・ミュラー、ユニティ・ミトフォードだったと思います。

レーニがヒトラーの愛人であった事は、周知のところだったようですが、現場を押さえた人はいないと思いますので、証明は無理だと思います。(笑)

しかし、ただのダンサーに過ぎなかった彼女の家に何故、毎日のようにヒトラーが車で乗りつけ、夜を過ごしていたのか、何故ナチ政権下の外務大臣の山荘を譲り受ける事ができたのか、また彼女がナチスのプロパガンダの民族の祭典、ベルリンオリンピックの女流映画監督に抜擢されたのか考えると、ヒトラーと怪しい関係だったとしかいいようがないと思います。

2006/3/16  14:56

投稿者:あさがわ
>レミーナ・ミュラー

「レナーテ・ミュラー」でしょう?この人は当時の大スターで、ゲシュタポによる他殺説が有力です(一説に恋人がユダヤ人であったから)

>レーニ

これは確固たる証拠もないでしょう。いろいろな噂はあるけれど。

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