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2006/10/27

アレキサンダー大王  旧約聖書
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■ Alexander the Great in the Temple of Jerusalem
Oil on canvas, 52 x 70 cm
Museo del Prado, Madrid
CONCA, Sebastiano 作



城壁が完成し、再建の一歩を踏み出したイスラエルですが、まだペルシア王国の支配を受けており、ペルシャが衰えた後も、周囲に次々と強国が誕生しては、イスラエルに攻め込んできました。

イスラエルは、周囲の国々が行き来する交差点のような位置にあるため、侵略を受けやすく、戦いの絶える間がないという運命を背負った土地だったのです。

BC336年にマケドニア王となったアレキサンダーは、たちまちにしてギリシア全土を鎮圧し、BC334年には歩兵3万、騎兵5000を率いて東征の途につき、いたるところで連勝を重ねました。

そして、パレスチナの地(イスラエル)は、ペルシャ帝国にかわって、マケドニアのアレキサンダー王が支配するところとなりました。 これが、以後4世紀にも渡るヘレニズム
(ギリシア化)時代の始まりとなります。

アレキサンダーは、地中海の制海権を握るために南下してシリアを奪い、更にシドン、ツロ、ガザをくだして、BC332年、ついにエルサレムに至ります。

当時のエルサレムには、イスラエル10支族と離別して、亡国に悲しんでいたイスラエル2支族(ユダ族が中心だったので、のちにユダヤ人と呼ばれる)が多数いましたが、ユダヤ人たちは、ラビ(ユダヤ教指導者)も民衆も皆、アレキサンダーを 「 大王 」 と称して歓迎し、恭順の礼を尽くしました。

これは彼らの聖なる文書 「 ダニエル書 」 の中に、その出現が預言されていたからであります。

アレキサンダー大王は、更に兵を進めてエジプトに入り、メンフィスを攻め、
新都市 「 アレキサンドリア 」 を建設しました。 

翌、BC331年には踵を返してサマリア、シリアに攻め入り、ペルシア軍を蹴散らして、ついにバビロンを陥落させ、スサに侵入し、ダリウス3世は遁走して、ここにアケメネス朝ペルシア帝国は滅亡。

アレキサンダー大王は、アッシリア帝国、アケメネス朝ペルシア帝国に続き、それを上回る大帝国を樹立しました。

しかしながら、東方世界を征服し終えたアレキサンダー大王は、軍をインダス川を越えてインドにまで征服の兵を進めましたが、BC323年に、32歳という若さで亡くなってしまいます。

アレキサンダー大王が獲得した広大な領地は4分割され、エジプトはプトレマイオス家、シリアはセレウコス家が領有し対立した為、その中間に位置するパレスチナ地方(イスラエル)は、両勢力の干渉にさらされることになりました。

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2007/9/2  23:56

投稿者:Arlene Molina
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