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2005/7/12

食料問題-2  アメリカ vs ヨーロッパ  食料問題・食料・外食産業

1960年には、穀物の自給率はイギリス、ドイツ、イタリア等のヨーロッパ諸国と日本は約60−70%と、そう変わるものではありませんでした。 しかしながら、現在ではフランス187%、イギリス109%、ドイツ111%、イタリア83%に対し、日本24%、韓国27%と大きく差がついてしまいました。 ちなみに、アメリカは119%です。 この背景には、EC/EUとアメリカの農業保護政策と、補助金付の輸出振興政策の、過激な貿易戦争のあおりを受けてしまった事にあります。

また、2003年には農林水産省が世論調査した「食料自給率」の結果が公表されましたが、実に国民の90%以上が、日本の食糧に不安を抱いている事が明らかになりまし
た。 「食べ物は安ければ輸入すればいいというものではない、やたら海外から食べ物を輸入せずに、食料の自給率を上げろ」というのが、圧倒的な意見のようでした。 しかしながら、天下国家を講釈する皆さん、安い海外の食べ物と、高い日本産の食べ物がスーパーに並べられていたら、どちらを購入しているのでしょうか? 我々日本人の消費行動が、今日の食料の自給率の結果につながっている事に、気づくべきではないでしょうか。

それでは、アメリカとEC/EUでどのような、農業保護政策が行われ、貿易戦争となっていったのでしょうか、具体的に説明してゆきたいと思います。




EC/EUでは、1967年7月から共通農業政策(Common Agricultural Policy)の下で、単一の共通市場を形成し、欧州内統一価格制度を設けて、農家の所得を保証するための価格支持を行ってきており、毎年3月末から4月にかけてEC/EUの農相理事会が開かれ、その席上で指標価格(index price)、介入価格(intervention price)、境界価格(threshold price)が決められています。  指標価格は目標価格の事で、生産性の低い国に配慮して、比較的高い価格に設定されます。 例えば、小麦の指標価格はEU域内で最も小麦が不足するドイツの卸売価格が指標価格として採用されているようです。

通常、指標価格から5%低いところに介入価格が設定され、この介入価格が最低保証価格となり、EU域内の価格がこれ以上に下がっても、農家は生産した農産物を全て介入価格で買い上げてもらう事ができます。 その赤字は、欧州農業指導保証金(European Agricultural Guidance and Guarantee Fund)から補填されますが、この基金はEUが他国から輸入する際に課す輸入課徴金によるお金と、EU加盟各国からそれぞれの分担比率に基づいて拠出された資金によって賄われています。 

また、境界価格はEU域内の市場を、海外の安価な農産物から守るため、消費地に設けられます。 これは、内陸の消費地の指標価格から陸上運賃や諸経費を差し引いた物で、輸入農産物が安い場合には、境界価格と輸入価格との差額を輸入課徴金(import levy)として徴収します。

これとは逆に、EU域内から海外へと農産物を輸出する際には、介入価格と輸出価格のとの差額が輸出払戻金(restitution)として補助され、EU産の農産物に国際競争力を持たせているのが現状です。

このような保護政策により、アメリカ産農産物の最大の顧客であったヨーロッパ市場では、アメリカからの輸出は1976年頃を堺に徐々に減少してゆき、ヨーロッパでの穀物自給率は高まってゆき、1980年代にはついに自給自足を果たす事になります。

工業製品の場合、現在のEUでは0〜約10%の輸入関税がかけられます。 EU内で多くの生産者がいる製品であれば限りなく10%に近づき、EU内で生産されていない製品であれば保護する必要もなく、消費者の利益のために、限りなく0%に近づきます。 その関税率は、商品によって異なることや、政治的な話し合いにより変更されていく事はいうまでもありません。

話を農業に戻しますが、1980年代にはECは1981,1982年と豊作が続き、ECは小麦の過剰在庫を輸出により処分する方策をとるようになります。 アメリカはヨーロッパという大きな輸出市場を失ったばかりでなく、輸出市場までヨーロッパに奪われました。

こうなるとアメリカも黙っておれなくなり、アメリカは「ECが過剰在庫を補助金付で輸出し、世界の市場価格を急落させただけでなく、アメリカの伝統的市場を奪っている」とし、ECを公然と非難するようになり、 こうして、小麦の輸出をめぐり、1980年代のアメリカとECの貿易戦争が勃発しました。

1983年には、従来フランスの小麦輸入国であったエジプトに対し、アメリカは補助金付で輸出攻勢をかけます。 この時契約した小麦は100万トン、この時のCIF価格はトン当たり155ドルで、ECの価格179ドルより24ドルも安く、アメリカ国内価格より100ドルも安いものでした。 これを機に、ECとの対立は決定的なものとなりました。 ECとの穀物戦争の真っ只中、1985年12月23日レーガン大統領は、85年農業法案(別名:食料安全法 Food Security Act)に署名し、直ちに発行させました。 この農業法に組み入れられた輸出奨励計画は、アメリカ政府が輸出補助金をつけて輸出拡大を図ったもので、ECを標的にしている事はあきらかでした。

補助金付き輸出競争が泥沼化したのは、1986年1月1日にスペインとポルトガルが
ECに加盟した際に、アメリカのポルトガル向け小麦輸出は63万トンから24万トンに激減し、その報復として従来EC産小麦の輸入国であったモロッコに補助金付輸出で攻勢をかけ、その結果ECの小麦輸出は167万トンから11万トンに激減しました。

その後、アメリカは輸出奨励計画の対象国を、北アフリカから、中近東、アジア、アフリカ、東欧諸国、南米と世界中に広げます。 このアメリカとECの補助金付輸出競争のあおりを受け、日本の食料自給率が下がったとも言えるでしょう。 EC諸国が自給率100%を超すのは、このアメリカとの泥沼化した補助金付輸出競争が始まった1980年代でした。


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