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2007/1/21

ロンギヌスの槍  新約聖書
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■ Lance of Longinus (ロンギヌスの槍)
  ウイーン王宮博物館所蔵


イエスが十字架に架けられた後、本当に死んでいるかどうかを確かめる為に、槍を突き立てたローマ兵ガイウス・カシウスの呼称が、ロンギヌスであり、この槍がロンギヌスの槍と呼ばれ、現在はウイーンの王宮博物館に所蔵されています。

彼は、白内障を患っていましたが、槍を刺した際にイエスの血が目に入り、視力を取り戻しました。  これを機に、彼は洗礼を受けキリスト教信者となり、後に聖者(聖ロンギヌス)と言われるようになりました。


この槍が歴史上に登場するのは紀元4世紀のことであり、初代ローマ皇帝のコンスタンティヌス1世と、その家族もこの槍を捜し求めていたとされています。

彼らはキリスト教に傾倒し、その母へレナはエルサレム巡礼の旅の途中、キリストを磔にした聖十字架や聖釘と共に、ロンギヌスの槍を発見したと言う逸話が残されています。

コンスタンティヌス帝が手にした、この槍はその後、テオドシウス(ローマ帝国最後の皇帝)、アラリック(ローマを征服した西ゴートの王)、テオドリック(東ゴートの王)、ユスティニアヌス(東ローマ帝国皇帝)、カール・マルテル(ポワチエの戦いでムスリムを撃破した)らの手を転々とし、最後にはシャルルマーニュ(8世紀、西ローマ帝国皇帝として即位)の手に渡ったと言われています。

シャルルマーニュはその後、槍を手にして以来47回に及ぶ戦いで勝利を収め続けましたが、ある時槍を落とすと、その直後に死亡したそうです。

その後、この槍はカロリング王朝に渡り、サクソン家皇帝5代の手を経た後、ホーエンシュタウフェン家の皇帝7代の手を受け継がれたとされています。

この時代にも皇帝フリードリヒ・バルバロッサ(赤髭王)はシャルルマーニュ同様、小川を渡っている最中に槍を落とし、その直後に死亡したという逸話が残っています。

そして、19世紀になると、ナポレオンが「ロンギヌスの槍」に興味を示し、アウステルリッツの戦いに勝利するなり、槍を探し求めました。  

しかし、戦争の直前、槍は略奪を恐れた王家によって既にニュルンベルクからウィーンに運ばれていた為、ナポレオンはとうとう槍を手にすることはなく、ウィーンに運ばれた槍はその後、様々な人の手を渡り、ハプスブルク家にたどり着くことになりました。

1938年にオーストリアを併合し、ハプスブルク家の財宝もろとも「ロンギヌスの槍」を当時ナチスの大本営が置かれたニュルンベルクに持ち帰ったヒトラーは、翌年1939年、電撃的にポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の口火を切って落とします。

その後ヒトラーは快進撃を続けますが、ロシアへの進軍で致命的な敗北を喫しました。 そして1945年4月30日午後2時10分、米軍のウォルター・ウィリアム・ホーン中尉が「ロンギヌスの槍」を保管していたニュルンベルクの教会に踏み込み、槍を再び奪還。

ヒトラーは「ロンギヌスの槍」を失うことになり、彼がベルリンの地下壕で拳銃自殺したのは、それからわずか80分後のことでありました。

そして現在、米軍によって奪還された「ロンギヌスの槍」は再びハプスブルク家へと戻されたとされていますが、一説によれば、実は米軍によって奪還されたのはレプリカの槍であり、本物の槍はヒトラーによって南米、もしくは南極へと運ばれたとも言われています。

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