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2007/2/18

消えた 「エルサレム教団」  新約聖書

第一次ユダヤ戦争(ユダヤvsローマ帝国)の時に、エルサレムを拠点とし、ソロモン第二神殿で祈りを捧げていた 「エルサレム教団」 がエルサレムから姿を消すという大事件が起こりました。


第一次ユダヤ戦争が本格するとみるや、彼らはエルサレムを脱出し、ガリラヤ湖南方、ヨルダン河東岸にある 「ペラ」 というギリシア人都市へ集団移住したという記録があります。

4世紀の神学者エウゼビオスが、 「教会史」 に記しているところによれば、

「エルサレムの教会の人々は、戦争の前に啓示を介してその地の敬虔な人々に与えられたある託宣によって、都を離れ、ペレアのペラという町に住むように命じられた。  そこでキリストを信じる人々はエルサレムからそこに移り住んだが、そのためにユダヤ人の第一の首都とユダヤの全地は聖なる人々から完全に見放された形になった。  そして、ついにキリストや使徒たちへの悪質な犯罪のために、神の審判がユダヤに臨み、不敬虔な者の世代を人々の間から完全に絶ったのである。」

とありますが、ユダヤ人ユダヤ教徒たちの立場になって考えると、ユダヤ民族が一致団結して、強大なローマ帝国と戦い、エルサレムを守ろうとしているのに、その場を逃げ出すとは、とても許せないという気持ちが、 「エルサレム教団」 に対する憎しみとなりました。

これが、ユダヤ人ユダヤ教徒が、原始キリスト教徒に対する憎しみの火に油を注ぐ結果となり、戦争が終わってから、ユダヤ人ユダヤ教徒による、エルサレム教団のキリスト教徒に対する迫害はさらに大きなものとなりました。

こうして、ローマ帝国、ユダヤ教徒、異邦人キリスト教徒たちから迫害を受ける 「エルサレム教団」 は、ペラから帰る場所がなくなり、孤立を深めていくことになります。

そうして、原始キリスト教の主導権は、 「アンティオキア教団」 に移ってゆきました。

ペラに移住した 「エルサレム教団」 のその後については、全く記録がなく、 「イスラエル10支族」 のように、歴史の闇に消えてしまいました。

しかしながら、紀元1世紀に起こった大きな出来事を見てみると、古代朝鮮の 「馬韓」に、風俗や風習の違う人々 「秦人」 が大量にやってきた時期です。 

「三国志」の中の「魏志韓伝」によれば、秦の役を避けて、秦人が大量に朝鮮半島に流入、地元の朝鮮人(馬韓)は、仕方なく朝鮮半島の東半分を秦人に分け与えて、その国は「秦韓しんかん(辰韓)」、「弁韓べんかん(弁辰)」と呼ばれたとあります。 この「秦韓」は新羅の前身であります。

「秦人」 とは、中国から見て柵外の人、また 「流浪の民」 という意味があり、日本に渡ってきて、日本の文化や文明の基礎を築いた最強の渡来人であり、原始キリスト教徒であるという説もある 「秦氏」 と関係があるならば、すべて話しのつじつまは合ってきます。

秦氏は、平安京建設の最大のスポンサー、かつ先進文明を日本に持ち込みました。

秦一族で原始キリスト教徒と思われる羊太夫は、和同開珎をつくった時の技術長官であり、かつ群馬県に絹産業を持ち込み、ユダヤ人ネットワークが支配するシルクロードでの絹のシンジケートに日本を取り込みました。

シルクビジネスと、貨幣の鋳造は無縁ではないでしょう。

羊太夫
http://diary.jp.aol.com/renaissancejapan/414.html#readmore
秦氏
http://diary.jp.aol.com/renaissancejapan/413.html#readmore
京都とエルサレム
http://diary.jp.aol.com/renaissancejapan/412.html#readmore


聖徳太子のブレーン、家庭教師として仕えた、秦河勝による、聖徳太子が馬小屋で生まれたという伝説は、キリスト教の影響を受けていたと考える方が自然でしょう。 でなければ、天皇家の皇子が馬小屋で生まれたとするのは、あまりの侮辱になるからです。

エルサレム教団が居た、ギリシア人都市ペラは、東シリアに位置しています。 アレキサンダー大王によって、東西交易が発達し、シリアはシルクロードに於けるの西側の始点でもあります。

紀元451年に 「カルケドン公会議で」異端とされたネトリウス派キリスト教徒は追放され、シリアの教会に逃げ込み、布教の矛先を東方に定め、大々的な活動を行い、中央アジアはもとより、インド、中国でも活動を続けました。

インドのマドラスには、ネトリウス派の教会が立ち並び、12使徒のひとりであるトマスの墓もあります。  中国では、ネトリウス派キリスト教は、景教として布教が公式に認められました。

もしかすると、原始キリスト教徒のユダヤ人たちは、東の果ての日本に早くから来ていたのかも知れません。  それが、日本のところどころに残っているキリストやヘブライ語伝説に関係があるのではないでしょうか?

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