renaissancejapn@aol.com

2007/2/18

嘆きの壁  新約聖書
クリックすると元のサイズで表示します

第一次ユダヤ戦争で、エルサレムは陥落し、徹底的に破壊された 「ソロモンの第二神殿」 ですが、この破壊後にわずかに残ったのが、 「嘆きの壁」 です。


ユダヤ民族にとって、もっとも聖なる場所である神殿の至聖所だけは救いたいと思い、それを攻撃することをためらったローマのティトゥス将軍は、指揮官や将校たちを集め、意見を聞きました。

しかしながら、エルサレムに神殿が立つ限り、ユダヤ人は世界各地からエルサレムに集まり、繰り返しローマに反乱するであろうとし、反乱の拠点となるシンボルの神殿は焼き払い、破壊すべきであるという意見でありました。

そうして、紀元70年、灼熱の8月の末、一段と高く位置する神殿の至聖所に突入したローマ兵により、松明が投げ込まれ神殿は炎上し、

聖なる神殿の炎上で、興奮したローマ兵により、神殿内は殺戮と略奪の場と化し、そこに居合わせた者は、無力な幼い女の子や、老人ですら虐殺の対象となりました。


神殿には想像を超える、金や財宝が積み上げられていましたが、ほとんど全てローマ兵に略奪され、これが市場に出回り、後にシリアで金の相場が半分に下落したと伝えられています。

焼け落ちた神殿は、戦争後にティトゥス将軍により、徹底的に破壊され平坦地になるまでその作業は貫徹され、今日に至るまで神殿の再建はなされておりません。

殺戮行為に兵士たちが飽き、疲れ果てているのを見計らったティトゥス将軍は、生存者で抵抗しないものは捕虜として生かしておくよう命令し、ユダヤ人たちを奴隷として売ったり、ローマでの凱旋式の見世物とし、また闘技場で野獣の餌食としました。  

また、このユダヤ人奴隷たちがコロッセオの建設に従事させられたのも有名で、ティトゥス治世(在位79〜81)の、紀元80年からコロッセオは、使用されるようになりました。


クリックすると元のサイズで表示します


今日、ローマの観光名所である、コロッセオの近くに建つティトゥス凱旋門は、この第一次ユダヤ戦争で、ユダヤ民族の反乱を徹底的に打ちのめし、凱旋したティトゥス将軍を記念し捧げられたものです。


クリックすると元のサイズで表示します


この凱旋門の内側の壁には、エルサレムの神殿から押収した、黄金の机や七支の燭台を担いで、カピトリーの丘へ凱旋行進する、ティトゥス将軍率いるローマ軍が彫刻されています。

この凱旋門は、ユダヤ民族にとっても、忘れることのできない象徴であります。

ローマ観光の際には、是非訪れて欲しい名所です。


0


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ