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2007/3/9

京都にある十戒  秦氏・日本とユダヤ文化
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京都の太秦に、秦河勝が建立した広隆寺がありますが、その境内には十戒が記された物が飾られています。  

うそ偽りをいいません、物を盗みません、みだらな男女の関係をしません、などモーゼの十戒とよく似ており、十の善き戒めと書いてあります。


そして、この瓦には、シュメールやアッシリアの王、エジプトのツタンカーメン王やエルサレムのヘロデ王のシンボルマークであった菊の御紋。 

現在、世界の王室でこの紋章を使っている王家は、日本の天皇家だけであります。

天皇家の紋章
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天皇家もう一つの紋章
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天皇家とエフライム族
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京都とエルサレム
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秦氏と日本の中のユダヤ文化
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羊太夫
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蘇生 (=イエスキリストの復活?)
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          広隆寺の沿革  -広隆寺のパンフレットより-      

    
広隆寺は推古天皇十一年(603年)に建立された山城最古の寺院であり、四天王寺、法隆寺等と共に、聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。  この寺院の名称は、古くは蜂岡寺と云い、また秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺などと云われたが、今日では一般に広隆寺と呼ばれている。

広隆寺の成立において、日本書紀には次のように載っている。 (略)

以上のように、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、それをご本尊として建立した事が分かり、このご本尊が現存する弥勒菩薩であることも、広隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。

さて、秦氏が大勢で日本に帰化したのは書記によると、第15代応神天皇の16年で、養蚕機織の業が主であったが、その外に大陸や半島の先進文明を我が国に輸入することに努め、農耕、醸酒など、当時の地方産業発達に貢献していた。

我が国に大陸文明を移し、産業と文化の発達の源流、経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺こそは、仏教を興隆して文化の向上を図り、民衆の和合を熟願された、聖徳太子の理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える、最も重要な遺跡であり、信仰と芸術の美しい調和と、民族の貴い融和協調とを如実に語る、日本文化の一大宝庫である。




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