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2007/10/16

シオニズム-1  国際政治・金融・企業
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聖地エルサレム


シオニズムとは、ユダヤ人たちが、イスラエルの地に故郷を再建、もしくはユダヤ教、イスラエル文化のルネサンス(復興運動)を興そうとしている活動で、シオンとはダビデ王が居城を築いた丘の名であり、エルサレムの意味としても使われます。 



しかしながら、ユダヤ人なら必ずイスラエルに帰りたいかといえば別の話であり、2000年に渡り世界各地に散らばったユダヤ人は安住の地を、アメリカや他の国々に求めている人も多く、シオニズムにこだわるのはアメリカなどに住むキリスト教原理主義者たちの方である場合もあり、むしろ迷惑をしているユダヤ人も多くいる事を認識しておかねばなりません。

エルサレムは、旧約聖書を共有するユダヤ教徒とキリスト教徒のどちらにとっても聖地で
ありますが、ユダヤ教とキリスト教は異なります。  

キリスト教の、ヨハネの黙示録によれば、善と悪の最終決戦がハルマゲドン(メギドの丘)で行われた後、神(イエス)が降臨し、キリストの教えに忠実に生きていた善人だけを救い出し、1000年続く至福の千年王国(ミレニアム・キングダム)が誕生するとされています。

しかしながら、キリスト教原理主義者たちによる独自の聖書解釈では、全てのユダヤ人がイスラエルに戻るまで、この予言は成就されないと考えているため、無理やりにでもユダヤ人をイスラエルに押し込めようと考えています。  

これが、キリスト教原理主義者たちによるシオニズムであります。

実際、19064年に組織化された第一回の十字軍の遠征では、イスラム教徒からの「エルサレム奪回」を挙げたものの、ユダヤ教徒も激しい迫害にあいました。

戦争資金を得るために、お金を持っているユダヤ教徒から略奪をする目的もありますが、キリスト教徒はユダヤ人を憎んでおり、ユダヤ人たちがバチカンの指導の下で迫害を受け続けたヨーロッパの歴史をみれば明らかです。

「神の子イエスを裏切り、十字架にかけたユダヤ人!」

すなわち、キリスト教原理主義者たちによるシオニズムとは、ユダヤ人たちの事を思ってのことではなく、ゲットーのようにイスラエルにユダヤ人全員を閉じ込める、また千年王国実現のために、ユダヤ人全員をイスラエルに戻さなければならないというももので、最後の審判ではキリスト教を信じているものしか救われないのですから、実際に考えていることはホロコーストです。

ユダヤ人の中にシオニズムなる思想が芽生えてきたのは、18世紀末のフランス革命後のナポレオンによる国民国家思想に影響されており、国民は身分や血統、宗教に関係なく、国民として平等な権利を有することになるといもので、1791年にフランスではじめて、ユダヤ人に市民権が認められてからです。

その後、ロシアでのユダヤ人迫害が激しさを増し、ロシアのユダヤ人たちは、新天地アメリカに逃げるか、自らの国をイスラエルに再建する他に、ユダヤ民族は生き延びることはできないと考え、「シオニズム」は胎動をはじめました。

その頃は、パレスチナはオスマントルコの領土で、アラブ人が約46万人に対し、ユダヤ人が約2万5千人ほどで、うち1万5千人はエルサレム周辺に住み、残りはガリラヤ地方とヘブロンに住んでいました。

1881年からユダヤ人の入植が始まりましたが、疫病などでことごとく失敗してしまい、それを援助したのが、ロスチャイルド・パリ家の 「現代イスラエルの父」 と呼ばれる、エドモン・ド・ロスチャイルド男爵です。

彼の巨額な資金援助により、徐々に入植は成功してゆき、エドモン男爵は自らも入植地を開拓し、ブドウ・オレンジ・アーモンド・オリーブ・ジャスミン・ハッカ・タバコなどが栽培されるようになり、まさしく旧約聖書に書かれているように、カナンの地を「蜜と乳の流れる地」にしていったのです。


意外かも知れませんが、この当時、ロスチャイルド・ロンドン家の人たちは、彼の行動に異を唱え、シオニズムに反対する組織すらつくりました。

これは、国際金融資本、多国籍企業であるロスチャイルド家にとっては、このように民族主義的な行動は本質的に彼らのビジネスに矛盾し、シオニズムの為に各国の反ユダヤ主義を起こし、せっかく手にしたビジネスやユダヤ人の権利を失ってしまう可能性があるからです。

ユダヤ人が、必ずしもイスラエルにこだわっていない証拠に、1881年から1925年にかけて、アメリカに420万人移民しているのに対し、イスラエルには15万人しか移民しておりません。

しかしながら、ロスチャイルド家の人々も、エドモンの情熱と、ユダヤ人としてのアイデンティティに目覚め始め、シオニズムに肯定的な考えを持つようになってゆきます。


第1次世界大戦も終わろうとする1917年11月2日、ロンドンの二代目ロスチャイルド卿ウオルター・ド・ロスチャイルドは、イギリスの外相バルフォアからの手紙を受け取り、 

「イギリス政府はパレスチナにおけるユダヤ民族の為のナショナル・ホームの建設を好意を持ってみており、政府はこの目標達成が促進されるよう最善の努力をするものである」 

という有名な 「バルフォア宣言」 と呼ばれるものです。

これは、ユダヤ人側からの働きかけではなく、イギリスとしては1917年4月に参戦したアメリカのユダヤ人の支持を取り付けたいと言う思惑と、不安定でイスラムが主たる勢力である中東地域に、親英的なユダヤ国家を持つことは、長期的に何かと好都合であろうという考えもあったからです。


シオニズム-2  に続く
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