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2008/1/26

フリーメーソン-38  グラバー商会設立  フリーメーソン

1859年に来日し、マッケンジー商会で事務員として働いていたグラバーですが、マッケンジーが新たに開港された長江(揚子江)中流域の漢口で貿易取引に従事するために、長崎を離れることになり、1861年5月にグラバーは独立し、マッケンジーから代理店業務に関する仕事を引き継ぎました。

来日して2年で、グラバーは自己資金で取引する商人となり、ジャーディン・マセソン商会、デント商会、サッスーン商会という大商社の長崎代理店も兼ねる事となりました。


そして、ジャーディン・マセソンが手に入れた大浦二番(678坪)はグラバーが管理する事となり、グラバーはここを事務所として使うようになりました。


フリーメーソン-30 ジャーディン・マセソン商会
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/622.html
フリーメーソン-29 サッスーン財閥
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/621.html



グラバーが独立して間もない1861年6月に、グラバーはじめウィリアム・オールトやウォルシュ商会など、イギリスとアメリカの7商会の代表が集まり、 「長崎貿易の促進と発展」 、 「不法取引の禁止」 、 「貿易報告の発行」 のために、全会一致で長崎(外国人)商業会議所の設立を決定。

このときグラバーは、ロバート・アーノルド(議長)や、オールトとともに代表委員に選定され、商業会議所の運営に当たることになりました。

グラバーが選出された理由は、貿易商の中で最も信頼の厚かったマッケンジーの後継者であるとともに、ジャーディン・マセソン商会という大商社がバックに居たからであります。


1860年9月に来日したフランシス・グルームは、ロバート・アーノルドのパートナーシップで、アーノルド商会を設立していましたが、1861年12月のアーノルドの業務を引き継ぎ、さらに1862年2月1日にグラバーのパートナーとなり、グラバーはアーノルド商会を吸収することになりました。

グラバーとグルームのパートナーシップの期間は1865年12月31日までで、これに伴い、商会名はそれまでの 「トマス・グラバー」 から、 「グラバー商会」 に変更。

また、1862年8月には兄のジェイムズ・グラバーが来日し、9月にパートナーとして参加し、1864年12月末にスコットランドに戻るまで、2年4ケ月に渡り、グラバー商会のパートナーを勤めました。

さらに、1862年9月末には、上海のブレイン・テート商会の長崎支店代表であったエドワード・ハリソンがパートナーとして参加し、ブレイン・テート商会の長崎における業務もグラバーが引き継ぎ、こうして1862年10月にはグラバー商会は、グラバー、グルーム、グラバー兄、ハリソンの4人のパートナーシップで経営されるようになりました。








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