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2008/2/11

フリーメーソン-48 坂本龍馬誕生  フリーメーソン
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坂本龍馬(1836-1867)

幕末混乱期に彗星のごとく現れ、犬猿の仲であった長州藩と薩摩藩を同盟関係に導き、商社の亀山社中(後の海援隊)を設立し、欧米製の武器を維新軍に提供し、明治維新を成功させた功労者でありますが、その背後には常にグラバーの影がつきまとっていました。


坂本龍馬の本名は、直柔(なおなり)で、通称の龍馬は、生れる前に龍が炎を吐きながら胎内に躍りこんだ夢を母が見た事から名づけられたものです。

龍馬は、1836年1月3日に土佐藩の郷士(ごうし)の家に生を受けました。 郷士とは、苗字と刀の携帯を許されるだけで、家禄(藩からの手当)はなく、きちんと藩から給料を受け取っている藩士、すなわち武士とは決定的に異なり、武士の皮をかぶった農民、下層の侍であります。

しかしながら、坂本家は裕福で、父八平は弓術・槍術は免許皆伝の腕前で書や歌にも優れ、文武両道を兼ね備えた士道の高い人でありました。  

12才のとき母を亡くした龍馬は、三歳上の三女・乙女姉さんによくなつき、彼女が学問武芸の指導にあたりましたが、乙女姉さんは一説には、身長5尺8寸(約174cm)体重30貫(約112kg)といわれ非常に大柄で、剣術・馬術・弓術・水泳の得意な豪快な女性であったとされています。

龍馬は、あまり勉強が得意ではなく、大人になっても寝小便が直りませんでしたが、持ち前の明るい性格で、この寝小便癖も人々には愛嬌にうつり、行く先々で人々に愛される男でした。

14歳の時、「日根野弁治道場」に入門し小栗流剣術を学び、19歳のとき「小栗流和兵法事目録」一巻を伝授され、江戸へ剣術修行に赴きますが、よほど剣術が性に合ったようで14歳からの10年間は剣術一筋の生活を送ることになりました。

嘉永六年(1853)3月、19歳の時剣術修行のため江戸へ向かい、京橋桶(おけ)町の北辰一刀流千葉定吉道場に入門しましたが、そこで遭遇したのがペリー提督率いる黒船来襲で、龍馬は攘夷思想の影響を受けました。




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