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2008/2/19

フリーメーソン-54  長州ファイブ  フリーメーソン
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長州ファイブ


長州ファイブとは、幕末に長州藩から上海経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した、 井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝) の5名の長州藩士の事で、

ロンドン大学に長州ファイブ(Choshu Five)として、彼ら5人の顕彰碑が建てられています。



彼らの留学は、ジャーディン・マセソン商会、横浜支店の支配人、サミュエル・ガワー(Samuel J.] Gower)が斡旋したもので、ジャーディン・マセソン社所有のチェルスウィック号で1863年5月12日に横浜を出航し、上海に向かいました。

5月18日頃、上海に到着した後、井上と伊藤は約300トンのペガサス号で、他の3名は10日ほど後に5,600トンのホワイト・アッダー号でロンドンに向かって出港し、到着したのは
11月4日であります。

英国留学中の世話役になったのは、ジャーディン・マセソン商会の創業者の一人であるジェームス・マセソンの甥にあたり、マセソン商会(ロンドン)の社長を長く務めたヒュー・マセソンですが、

このヒュー・マセソンの紹介で、長州ファイブはロンドン大学ユニバーシティー・カレッジに留学することができました。

ヒュー・マセソンは、1873年3月に鉱山採石最大手と知られるリオ・ティント(リオ・ティント・ジンク、RTZ)を設立し、1898年まで会長を務めましたが、設立に関わった金融業者、事業家による国際コンソーシアムの中にはロスチャイルド家の名前もありました。

さらにロスチャイルド家は1887年から1889年にかけてリオ・チィントの大株主となり、経営に大きな発言力を持つようになっています。


長州ファイブがロンドンに留学していた頃、長州では攘夷が真っ盛りであり、長州ファイブも日本国内では 「 攘夷! 」 と叫んでいましたが、現実はイギリスのジャーディン・マセソン商会やグラバーに買収され、イギリスのエージェントであったのです。

これは適当に言っているのではありません。 英国政府のクラレンド外相がパークスに送った文書に、薩長の維新の志士たちの事を 「 エージェント 」 と呼んでいる記録があるのです。  そこには、 「 エージェントの存在を秘密にしろ 」 とあり、

別の文書で、1866年4月26日付けでハモンド外務次官からパークスに宛てた文書には、

「 日本において、体制の変化が起きるとすれば、それは日本人だけから端を発しているように見えなければならない 」   と書かれた記録も残っています。

すなわち、明治維新の工作は、日本人に気づかれないよう、あくまでも秘密裏に行えと、指示しているのです。


維新の志士達は、どこが尊皇攘夷なのでしょうか、尊皇攘夷どころか、大英帝国やロスチャイルド、ジャーディン・マセソン、サッスーンの使い走りで、操り人形であったのが現実の姿であったと、私は思います。



フリーメーソン-3   香港上海銀行(HSBC)
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フリーメーソン-29  サッスーン財閥
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/621.html
フリーメーソン-30  ジャーディン・マセソン商会
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/622.html
フリーメーソン-31  ジョン万次郎
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フリーメーソン-50  亀山社中
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