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2008/2/29

フリーメーソン-62  EUの創始者 リヒャルト・クーデンホーフ  フリーメーソン
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リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)


EUの創始者であるリヒャルト・クーデンホーフは、明治時代にオーストリア=ハンガリー二重帝国の代理公使ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギーとその妻である日本人女性、青山光子の間に生まれた次男で、映画カサブランカでイルザ(イングリッド・バーグマン)の夫役ラズロ(ポールヘンリード)のモデルとなった人物で、1920年代前半にウイーンのロッジに入会したフリーメーソンであります。

http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Nikolaus_Graf_Coudenhove-Kalergi



青山光子は、青山喜八とその妻、津禰(つね)の三女として東京市牛込区納戸町で1874年7月16日に生まれました。

青山家は、徳川家の幕臣の家柄で、もともとは油屋でありましたが、同時に骨董商を営み、こちらの方が繁盛しており、今日の東京の青山という地名は、この青山家の苗字が由来とされています。

明治25年(1892年)2月、オーストリア=ハンガリー二重帝国代理公使としてハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が日本に赴任し、青山家の店先で落馬した際にミツコが看病したことから、二人は恋に落ちました。

しかしながら、父の喜八はチョンマゲを切らずに文明開化に反抗していた頑固おやじで二人の結婚に猛反対、一方ハインリッヒ家も伯爵家ということもあり、東洋の異教徒の娘との結婚に猛反対しましたが、二人は、この試練を乗り切り、ミツコ21歳(1895年)の時、めでたく入籍することになりました。

夫のハインリッヒに帰国命令がでて、二人の息子(光太郎・栄次郎)をつれて遠い異国の地に旅立ちましたが、この次男の栄次郎が、パン・ヨーロッパ思想を打ちたて、今日のEU
構想の先駆けとなりました。 EU創始者の実母は、日本人女性だったのです。

クーデンホーフ光子
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/530.html


また、夫のハインリッヒがなくなった後、ヨーロッパの社交界で伯爵夫人として活躍した彼女をイメージして創られた香水が、パリのゲラン社の 「ミツコ」 であり、日本の空港の売店でも見ることが出来ます。

ゲラン社では、日本人女性の神秘性と美しさを香水であらわしたもので、
「ミツコは官能的でミステリアスな気品に満ちた香りであり、 発売後八十年たった今でも世界中で愛されている」  としており、シャネルより高価なブランドであります。

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香水 「ミツコ」

GUERLAN社 香水 「ミツコ」 の物語
http://www.guerlain.co.jp/fragrance/fragrance.html
http://www.guerlain.co.jp/fragrance/frame_mitsouko_story.html
http://www.guerlain.co.jp/frompress/expert12/1.html


リヒャルトは、第二次世界大戦で、ナチスに事務所を襲撃され、妻とアメリカに亡命しましたが、映画カサブランカでイルザ(イングリッド・バーグマン)の夫役のラズロ(ポール・ヘンリード)は、リヒャルト・クーデンホーフをモデルとしたもので、容姿も良く似た俳優を選んだことは有名です。

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ポール・ヘンリード

映画産業-5  カサブランカ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/38.html


リヒャルトは、亡命先のアメリカで、同じくフリーメーソンのイギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルトの支援を受け、1943年3月にニューヨークで開催された第5回パン・ヨーロッパ会議で、「One World」 化が推進され、第二次世界大戦後に帰欧したリヒャルトは、フリーメーソンのトルーマン政権の支持も得ました。


フリーメーソン-32  近代日本とフリーメーソン
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/624.html


リヒャルトの運動は、1948年5月7日から10日にかけてのハーグ会議という形で結実し、政府間主義に基づいて各国の議会代表から成る「欧州会議」の設立が決議され、ハーグ会議の結果を受けてビドー仏外相が欧州統合へのイニシアティヴをとり、その後の英仏の折衝を経て、結局1949年5月5日に英仏、ベネルクス、イタリア、スカンディナヴィア三国を含めて欧州評議会(Council of Europe: CE)規約が調印され、ストラスブールに本部を置かれる事になりました。

そして、欧州評議会(CE)の創設の後、ジャン・モネ(Jean Monnet)が中心となって推進した新たな統合の動きが起こり、

このモネの「統合」は1950年5月のシューマン・プランに始まり、これが欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を生み、1958年の欧州経済共同体(EEC)/欧州原子力共同体(EURATOM)の発足へ、というフランス主導の「欧州建設」(Construction de l'Europe)として展開してゆきました。  

さらに、1967年のブリュッセル条約で、EEC, EURATOM, ECSCの統合が決定され、新たにEC(欧州共同体)を発足させることで合意されました。 

1967年には、リヒャルトは訪日を果たし、同じフリーメーソンの鳩山一郎は回顧録で、リヒャルト・クーデンホーフの影響を受け、友愛精神の普及を計る事が大切と考え、昭和28年4月に 「友愛青年同志会」 を組織したとしています。

その後、リヒャルトは精力的な活動を続けましたが、統合の「傍流」へと追いやられ、パン・ヨーロッパ創設50周年とされた1972年には、ジャン・モネとの共同受賞が強く働きかけられものの、結局受賞することなく、同年7月にスイスのシュルンス(Schruns)で生涯を閉じました。   リヒャルト・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー 享年78歳。

そして、1992年にマーストリヒト条約が調印され、欧州連合(EU)発足が決定され、ECを下に1993年にEUが正式に発足されました。








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