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2008/3/15

フリーメーソン-69  日露戦争  フリーメーソン
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日露戦争の風刺画

この風刺画にあるように、満州から大国ロシアを追い出し、自由貿易によって莫大な利益をあげようとする、アメリカとイギリスが、日本を使って戦わせようとした戦争です。 
このように、日本人を傭兵として利用しようとしたのは、日露戦争に始まったことではなく、戦国時代にポルトガルやスペインが中国の明を征服するために、西国大名を鉄砲・火薬・金・女を使って取り込んだキリシタン大名の例もそうです。 


欧米からすると、中国を支配するための兵を自国から送るのは、当時の輸送手段では十分でないため、現地で傭兵を作る必要があった。 また、キリシタン大名の立場からすると、自分を守るために、鉄砲と火薬を必要とし、利害が一致したと言う事です。 鉄砲は、信長の時代に日本国内で大量生産できるようになりましたが、肝心の火薬の原料となる硝酸カリウムがありませんでした。 硝酸カリウムのとれる南アメリカを征服したポルトガル、スペイン、イギリスが世界を征服していったのが当時の歴史です。

ちなみに、女が使われた例としては、日本人で初めて西洋人の妾をもった伊達政宗がそうです。 織田信長にせよ、キリシタン大名にせよ、伊達政宗にせよ、バテレンからすれば、日本を植民地化、また日本と貿易するために、とりあえず日本に人を送り込まなければならない。 しかし、日本の最高権力者はバテレンが鉄砲・火薬を持ち込み、地方大名が力を持つのを防ぐため鎖国、またキリスト教を迫害したい。 一方、地方大名は火薬を手に入れ力を持ちたいという思惑です。  信長が天下を取れたのも、長篠の戦でも分かるように、バテレンから鉄砲・火薬を手にした事が重要なポイントです。 上杉謙信・武田信玄のような仏教に傾倒した戦国大名ではバテレンにとっては都合が悪く、比叡山を焼き討ちするくらいの信長をバテレンが支援したのも無理はありません。 信長は西洋の先端技術を入手するために、キリスト教徒を保護していました。 織田信長と一戦構える直前に、上杉謙信、武田信玄ともに謎の中毒死(食中毒)をしているのも、歴史家はもっと調べる必要があるでしょう。 キリシタンが背後にいる毒殺の可能性も否定することはできません。


話を日露戦争に戻すと、ロシアが満州から朝鮮半島に触手を伸ばしてきましたが、当時のロシアは世界No.1の大陸軍を有する帝国で、とても日本単独で戦える相手ではありません。  イギリスとしても世界戦略の一環で、東アジアの植民地権益を守るためには、ロシアの南下を何としても妨げねばならないので、利害の一致した両国は、1902年(明治35年)に日英同盟を結びました。


日英同盟から学ぶ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/146.html


また、在英日本公使の 林董(はやしただす) は、ロンドンのエンパイヤーロッジN.21008で、フリーメーソンになった人物で、ロッジマスターにまで登りつめ、ロンドンで日英同盟に調印した人物でありますが、一方のイギリス外相の第5代ランズダウン候も日英同盟に調印した人物ですが、彼もフリーメーソンでありました。

日英同盟を結んだ日本は、ロシアに満州から引き上げるよう要求しましたが、ロシア軍は言うことを聞かず、1904年(明治37年)2月8日、日本はロシア軍の基地であった旅順と仁川を攻撃し、次の日にロシアに宣戦布告しました。

ロシアとの開戦が決まったものの、日本は戦費不足で日銀総裁の副総裁の高橋是清を、戦費調達のために欧米に派遣しましたが、誰も戦時公債の起債に応じてはくれませんでした。 そこに救いの手を伸ばしてくれたのが、クーン・ローブ商会のユダヤ人金融家ヤコブ・ヘンリー・シフでありました。

この時、ロスチャイルドに一度融資を断られていますが、これは当時ロスチャイルドはロシアのバグー油田の利権を持っていたので、表向きロシアに逆らうことが出来なかった為です。 しかし後にロスチャイルドも融資をしてくれています。 シフ家とロスチャイルド家は、隣同士に住んでいた仲で、シフは1865年にアメリカに渡りましたが、ロスチャイルドのアメリカ代理人でありました。

日本は、こうしてイギリスのロスチャイルド、アメリカのクーローブ商会から支援を受け、計4回ポンド建外債を発行し、戦費の約70%(8億2000万円=8200万ポンド)を調達でき、そのお金でイギリスのロスチャイルド系の兵器会社から戦艦や武器を購入し、日露戦争を戦いぬくことが出来ました。

当時の公債の金利相場は2%ほどでありましたが、契約で4.5〜6%の金利をロスチャイルドに払わねばならず、日露戦争の本当の勝者はロスチャイルドであったと言われています。

日露戦争では、旅順の203高地を陥落させ、さらに奉天でも大勝利を収め、1905年5月27日日本海海戦ではバルチック艦隊を打ち破り、アメリカ大統領のルーズベルトに仲裁してもらい、8月にアメリカの軍港ポーツマスで講和条約がむすばれました。  これをポーツマス条約と言います。

条約の内容は、

1)朝鮮の監督は日本が行う
2)ロシアが中国から借りていた、満州の旅順・大連は日本が借りる。
3)南満州鉄道を日本に譲る
4)南樺太と、北洋漁業の権利を日本が貰う。

というものです。


フリーメーソン-32  近代日本とフリーメーソン 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/624.html


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