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2008/3/16

フリーメーソン-71  日韓併合  フリーメーソン
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「独立門」 
ソウル特別市西大門区ヒョンジョドン101番地の独立公園内にある門で、1896年11月21日定礎、1897年11月20日完成。

この門は、日清戦争により日本が勝利し、下関条約により、日本が清に朝鮮独立を認めさせ、これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになりました。

その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣に「独立門」が建設されましたが、建設には朝鮮の開化派の独立協会が中心となり、募金を募り建てたものです。



迎恩門とは、中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門で、清代には三跪九叩頭の礼(両手を地面につけ3回額を地面にうちつけるのを3回行わねばならない=土下座)によって、朝鮮の人々は清に支配されている事に感謝し、迎えねばなりませんでした。

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迎恩門

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「三跪九叩頭(さんきゅうこうとう)の礼」の碑


日韓併合の背景は、ロシアの南下政策に伴い朝鮮支配を阻止するために、日本は日清・日露戦争を戦ってきたもので、世界の国々からは賛成を得ていたものです。

清支配下での朝鮮の人々に人権は無く、上記のような土下座を強いられ、若い娘を献上しなければならない、多額の納税を納めて朝鮮の人々は餓死してゆくありさまで、当然社会インフラどころではありませんでした。

そこで、怒りの限界に達した朝鮮の農民の乱が起こり、朝鮮政府は清に援軍を求め、日本政府は農民の側につき、日清戦争は勃発しました。  当然ですが、日本としては国防のために、朝鮮からロシアや清を追い出したいという背景があってのことです。

日露戦争の勝利で、日本は朝鮮を侵略したのではなく、朝鮮からロシアの影響力を排除し、保護国としましたが、これは占領でも支配でもありません。  日本政府は、保護国政策は一時的なもので、やがて朝鮮の主権を回復させる事を考えていました。

実際、朝鮮総統府の初代統監である明治政府の元勲・伊藤博文の意向は、当時の記録にも残されています。  日本政府の目的は、国防のために朝鮮半島からロシアと清の影響力を排除する事と、開港させて自由貿易による経済の拡大を考えていたのです。

ところが状況が変わるのは、伊藤博文をテロリストの安重根が暗殺したことで、多くの日本人が怒り、朝鮮の人々も日本の怒りに怯え、朝鮮の最大政党・一進会がみずから日韓併合を持ち出しました。  

日本は、すぐに日韓併合を行わず、国際世論を重視し、アメリカやイギリスに意見を聞き、アメリカは日本がアメリカの植民地フィリピンに侵攻しないなら、日韓併合を歓迎。イギリスもイギリス植民地インドでイギリスに対する反乱が起こったら、日本はイギリスに協力することを条件に日韓併合を歓迎。

さらにフランス、ドイツ、イタリア、ロシア、清国などにも了承を得てから、ようやく日韓併合に踏み切りました。

すなわち、朝鮮最大政党・一進会、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、清の了承の下で行われたものです。 実際、日韓併合にあたり、朝鮮と軍事的戦争があったわけではありません。

そして、日本政府は日本国民の税金で、朝鮮の社会インフラ工事を行い、義務教育を導入しそれまで使われていなかったハングルを普及させ、識字率を一気に高めました。 これについては、日韓併合後に朝鮮の人口が約2倍になったこと、また日韓併合の前後の証拠写真でいかに朝鮮の発展に寄与したのかは、さまざまな本やWebでも紹介されています。


http://resistance333.web.fc2.com/html/japan_korea_merger1.htm


欧米諸国がインド、中国、フィリピンに行ってきた、また中国が朝鮮に行ってきた非人道的な搾取植民地化とは異なり、日韓併合では日本は長く友好関係にあった同じ東アジアの朝鮮の人達に全く逆の対応をしたのです。 現実、朝鮮のインフラ整備のための支出で、経済的には日本政府は大赤字でした。

ともあれ、1910年(明治43年)に日韓は併合され、この時から朝鮮は日本の領土となり、第2次世界大戦が終了する1945年(昭和20年)8月15日まで、35年間日本の支配下に置かれる事になりました。

「朝鮮」 という呼称は、中国がつけた名称で、「韓」 は古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓、辰韓、弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名であります。

日本と清との間で取り交わした下関条約の後の1897年に、李氏朝鮮が朝鮮民族にとって悲願の中国からの独立できた事を喜び、その時つけた国名が 「大韓帝国」 であります。

1910年の日本による韓国併合後、この地域の呼称は朝鮮に戻されましたが、後に 「大韓民国」 となりました。



フリーメーソン-68  日清戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/661.html
フリーメーソン-69  日露戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/662.html
フリーメーソン-70  ジェイコブ・シフ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/663.html








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