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2005/4/30

マフィア-1 〜シチリア〜  マフィア・犯罪
世界には、イタリア系、中国系、ロシア系、コロンビア系の4大マフィアがあり、
世界の犯罪組織の頂点にいます。

欧米で最強・最大の座にあるのは、シチリア・マフィアで、イタリア南部のシチリア島
が発祥の地です。 この豊かな農作物と海産物のシチリア島は、古代から周囲の
民族の侵略欲をそそる島でした。

古代ローマ時代には、シチリア島の東岸はギリシア、西岸はカルタゴの植民地で、
都市シラクサはギリシア植民市で、古くからカルタゴに対抗するために、イタリア半
島から傭兵を集めた軍団がありました。

ローマとカルタゴの国境線変更で、一度はこの軍団は解散しますが、傭兵は故郷
に戻らず、マメルティーニと名乗る兵団をつくり、同じギリシア系のメッシーナを攻めて
略奪支配しました。 その後、彼らはイタリア半島南部の村々を襲ったので、シラク
サの王ヒエロンは、このゲリラを討伐すべく、メッシーナを包囲しました。

危機に陥ったマメルティーニ団はカルタゴに助けを求めましたが、来援に駆けつけた
カルタゴは、援軍どころか敵となり本拠地を占領支配したので、困ったマメルティー
ニ団はローマに応援を求めました。

ローマにとって、この豊かなシチリアは限りない欲望をそそる土地であったので、甘い
誘惑となりました。 しかしながら、同時にカルタゴとの戦争の危険が潜む事は、
ローマの元老院も気づいていました。

この問題の決定権を持っていたのは、商工業者を中心とする王政時代からの百人
隊会議で、ただちにマメルティーニ団に味方することが決定されました。

紀元前264年の春、クラウディウスの小艦隊がメッシーナ海峡を渡り、マメルティーニ
団とともにメッシーナを急襲しました。 この戦いでカルタゴの大将アンノンを捕虜にし
た上で、「奴隷としてガレー船を漕ぐか、全軍を撤退させるか」の二者択一を迫り、
これがローマ対カルタゴの、第一次ポエニ戦争の始まりです。


また豊かさ故に、19世紀半ばまでイタリア南部・シチリー島は、スペイン・オーストリア・
フランスなどに支配されており、圧制に苦しむ彼らは法律・政府・権威に対する不信
が一つの文化となり、法律の外で紛争を解決する傾向を持ち、職業的な犯罪活動
が発展してゆきました。 

「マフィア」という言葉は、シシリーにおける保護・被保護の特有なシステムに起源し、
そこから生じる犯罪活動や犯罪者を指すようになりました。

19世紀後半から20世紀初頭にかけては、農作物の不作や失業などを背景に、
イタリアからアメリカに大量の移民が渡りました。 しかしながら、新天地には既に
イギリス人、スコットランド人、ドイツ人、ユダヤ人が居て、イタリア人やシチリア人
には社会の最底辺の仕事しか与えられず、差別・トラブルも多くありました。

そこで、彼らは結束を高めるために、祖国同様の仲間を裏切らない組織、マフィアを
結成する事になります。 マフィアは、次第に犯罪集団と化し、縄張り争いから抗争
を繰り返すようになりました。

その中から、アルカポネ(両親がナポリ出身・シカゴ拠点)、ラッキ・ルチアーノ(シチリア出身・ニューヨーク拠点)などの大物マフィアが登場します。

彼らの資金源は、禁酒法で莫大な富を手にした、カナダに拠点を置く、ウクライナ
出身のユダヤ人、ブロンフマン一族(シーグラム所有)、またブロンフマンと組み酒と
麻薬で大儲けしたロシア・ベラルーシ出身のユダヤ人、マイヤー・ランスキーなどで
あり、イタリアンマフィアの上には必ず、ユダヤ資本家がいました。

このマイヤー・ランスキーと友人ベンジャミンは、ネバダ砂漠のラスベガスにギャンブル
王国を築き、歴史に名を残す事になりました。 また余った資金をハリウッドの映画
制作にもつぎ込むようになりました。 ラスベガスで真っ赤にライトアップされたホテル
フラミンゴは、彼がつくったホテルです。

現在、アメリカで最大のマフィア組織は、イタリア系のラ・コーザ・ノストラ(LCN)で、
イタリアでは、マフィアの他に、ナポリを中心とした「カモッラ」、カラブリア州の
「ヌドランゲダ」などの大きな犯罪組織があります。



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2009/5/1  13:54

投稿者:renaissancejapan
ありがとうございました、修正しておきます。

2009/5/1  6:56

投稿者:コルレオーネ
カポネはニューヨークのブルックリン出身です
両親がナポリ出身

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