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2008/7/22

フリーメーソン-134  フリーメーソンとは何か-9  フリーメーソン憲章  フリーメーソン

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「フリーメーソン憲章」 (1723年版)の口絵
モンタギュ公爵から後継者のウォートン公爵に憲章が手渡されている場面を描いており、右端の人物がデザギュリエ


イギリスの近代フリーメーソンの歴史は、1717年に始まります。 1716年にコヴェント・ガーデンの居酒屋 「アップル・トゥリー・タヴァン」 で、グランドロッジ結成のための準備会が開かれ、毎年6月24日に集会を持つことが決められました。  ちなみに、6月24日は聖ヨハネの日です。

1717年6月24日に、ロンドンにあった4つのロッジが予定通り、居酒屋 「グース・アンド・グリドアイアン」 に集まり、グランドロッジが結成されましたが、近代フリーメーソンは、一般にこの時をもって発足したとされています。





グランドロッジとは、ロッジを統括するロッジの事で、新しいロッジの創設を承認する権限が与えられました。 

参加したロッジは、「アップル・トゥリー・タヴァン」、「クラウン」、「ラマー・アンド・グレイプス」、「グース・アンド・グリドアイアン」 で全て実在した居酒屋の名前をその
まま取っています。

この頃のフリーメーソンのロッジのほとんどは居酒屋に置かれており、天下国家を為だといいながら、それを言い訳に、共通の趣味・関心をもつオッサン達が、毎夜家を抜け出し飲んでいたのです。  これは、まさしくフリーメーソンのロッジが、クラブ的な性格を持っていたことを示しています。


初代のグランドマスターに選ばれたのは、アンソニー・セイヤーですが、この頃はフリーメーソンと言っても、ロンドンに数あるクラブの一つでしかなく、会員数もスコットランドとイングランドを合わせても、せいぜい700人くらいのものでした。

しかし、グランドロッジが結成されると、大きな波紋を巻き起こし、新しい加入者のなかには、宴会目的だけではなく、思想的な面での整備を求めるものも出てきました。 

そして、グランドロッジは、早くも1721年にフリーメーソンの歴史・規約・目的に関する憲章作成の仕事に着手し、長老派教会の牧師ジェイムズ・アンダーソンが 「ゴシック憲章」 と言われる、古いフリーメーソンの規約をもとに、手際よく仕事を進めました。

そして、作成された草稿は、若干の修正を受け、1723年に 「フリーメーソン憲章」 として出版されました。


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Constitutions of the Free Masons (フリーメーソン憲章)



「歴史」 「債務」 「通則」 などからなるこの憲章は、思想的にはそれほど優れたものではありませんでしたが、その後のフリーメーソン運動に極めて重要な役割を果たしました。

アンダーソンの 「フリーメーソン憲章」 第一部は歴史編で、フリーメーソンの歴史を建築史として捉え、始祖アダムからジョージ1世の時代までを通観しており、フリーメーソンでは天地創造を紀元4004の出来事とし、A.L.(Anno Lucis=光の年)をつけて年代を表記します。

アンダーソンによれば、フリーメーソンの歴史は、 「宇宙の偉大な建築者である神の形に似せて造られた最初の父アダム」 にまで遡り、アダムは神によって幾何学の奥義が与えられ、この幾何学は建築学の基礎をなす学問として、彼の子孫に伝えられ、特に 「ソロモンの神殿」 の造営と、ローマを代表する建築家ウィトゥルウィスに注目し、アウグストゥス、カエサルの下で栄光の頂点にあったローマ時代に建てられた建築物は、その後の建築の真の基準となり、古典様式(オーガスタン・スタイル)と呼ばれるこの様式が、ルネサンス時代のイギリスの代表的建築家であるイニゴー・ジョーンズと、クリストファーレンに流れ込む過程をたどり、ジョージ1世までを書いています。

この歴史編では、フリーメーソンが建築の歴史と重ねて捉えられていることと並び、キリスト教の神と、イエスキリストが、それぞれ 「宇宙の偉大な建築者」 「教会の偉大な建築者」 と呼ばれている事が注目されています。


「フリーメーソン憲章」 第二部は、フリーメーソンの債務を扱っており、その第一節 「神と宗教について」 では、極めて簡潔にフリーメーソンの立場を表明しており、そこでは先ずフリーメーソンは 「道徳法」 に従うことが求められ、 「全ての人間が同意することの出来る宗教」 に従って、 「真実で善良な人間」 になる事が求められます。

ここには、教義・思想らしきものは何も無く、教義・思想がなく穢れを嫌う神道にも似ています。 

こうした姿勢の背景には、自分と異なる信仰を持つ人々の立場を互いに認め合うという 「寛容」 の精神が強く働いており、宗派・分派に分裂して争いあった17世紀の宗教界の反発として、フリーメーソンは 「全ての人間が同意できる」 新しい宗教を目指したのでした。

新しい宗教の理想像として登場するのが、 「真実で善良な人間」 であり、徳性の涵養による人間の完成が、フリーメーソンの最終目標となり、 「神と宗教について」 では、フリーメーソンが愚かな無神論者にも、非宗教的自由思想化(リベルタン)にもならないように戒めています。


初期のイギリスのフリ-メーソン運動において、最も大きな影響力を持っていたのは、「近代フリーメーソンの父」 と呼ばれた、ジャン・テオフイル・デザギュリエ(1683-1744)で、彼は1717年のグランドロッジの結成から1723年までのフリーメーソン草創期において、指導的な役割を果たし、「フリーメーソン憲章」 の 「通則」 作成に際しても、アンダーソンに貴重な助言を与えました。

フランスのロシェルで、プロテスタントの牧師の子として生まれたデザギュリエは、1685年プロテスタントの信仰の自由を認めたナントの勅令が廃止されたのに伴い、一家でイギリス移住を余儀なくされました。

その後、オクスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジに進み、 「実験科学(自然科学)」 に強い関心を寄せ、やがてアイザック・ニュートンと友人になり、ロイヤルソサイティ(王立協会)の会員となりました。

その聖職者、また自然な学者としての経歴は、フリーメーソンの性格を考える上で、重要な意味を持っています。

彼は、1719年にグランドマスターとなり、彼のロッジ運営の手腕は高く評価されています。  疎遠になっていた会員を呼び戻したり、貴族を加入させたりして、発足間もないフリーメーソン組織を軌道に乗せた功労者であります。


また、イギリスで英国国教会の聖職者となり、皇太子付の司祭となった彼は、ヨーロッパ中を旅し、オランダでは後の神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世(マリアテレジアの夫)のメーソン入会式に立ち会っています。


フリーメーソン-11  オーストリア  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/601.html


「 フリーメーソン憲章 」 の序文を執筆したデザギュリエは、 

「 グランドマスターであるウォートン公爵の命令により、副グランドマスターとして、私はモンタギュ公爵に、この憲章を献呈する 」


と述べており、憲章作成の主導的役割を果たしたのはウォートン公爵でもアンダーソン牧師でもなく、デザギュリエであったわけです。


「 フリーメーソン憲章 」 が献じられているモンタギュ公爵は、1721年にグランドマスターとなっており、これ以後は、貴族達がフリ-メーソンの要職を占めるようになりました。




フリーメーソンとは何か  まとめ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html







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