renaissancejapn@aol.com

2008/7/25

フリーメーソン-137  フリーメーソンとは何か-12  古代派と近代派  フリーメーソン

イギリスに1717年にグランドロッジが設立されてから、スコットランドでは1736年に、アイルランドでは1725年にそれぞれのグランドロッジが結成されますが、思想的にはロンドンのグランドロッジの思想を受け入れていました。  

ロンドンのグランドロッジは、勢力拡大のための主たる対象として、貴族・富裕商人・知識人を考えていました。 少なくとも、ロッジの指導的な役割を果たすのは、こういった階級に限られていのは事実です。  

ロンドンに住んでいたアイルランド人達が、イギリスのロッジへの入会が拒否されると、ヨークのロッジが中心となり、1715年7月17日に、グランドロッジとは独立した別の組織 「エインシェント・グランドロッジ」 を結成し、古い伝統を受け継ぐ自分達こそがフリーメーソンの正統であるとして、それまでのグランドロッジを 「近代派」 、自分達を「古代派」 と呼び、最大の分派活動が起こりました。



「古代派」 の非難の矛先は、 「近代派」 に向けられますが、ロンドン・グランドロッジの創設者が、フリーメーソンの儀式を、非キリスト化し、石工のフリーメーソンのルーツから切り離した事によるものでした。


「古代派」 の指導者の1人であったロレンス・ダーモットは、 「近代派」 の 「フリーメーソン憲章」 に代わるものとして、1756年に 「アヒマン・レゾン(兄弟への援助)」 を出版しています。

そして、 「古代派」 のロッジは、1753年に12、 1760年に36、 1766年に100、 1771年には197 と、拡大してゆきますが、勢力の拡大につれで、 「古代派」 も当初の理念から離れ、結局は貴族階級と結びついてゆく事となりました。


18世紀におけるイギリスのフリーメーソン運動は、この 「近代派」 と 「古代派」 という2つの流れを中心として展開してゆき、アメリカ植民地のフリーメーソンにも、本国の事情を反映して、2つの流れが存在していました。

「近代派」 と 「古代派」 の分裂は、1813年に連合グランドロッジが組織されるまで続き、1813年以降のフリーメーソン運動は、急速に保守化してゆき、新しい時代を支えるといった精神を失ってゆきました。



フリーメーソンとは何か  まとめ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html






-------------------------------------------------------------------------













1


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ