2008/8/9
フリーメーソン-145 フリーメーソンとは何か-20 大東社とフランス革命 フリーメーソン

Grand Orient de France(大東社)
フランスでは、1756年にド・クレモン伯爵をグランドマスターとして、グラン・ロージェ・ナショナル(グランドロッジ)が創設され、1771年にド・クレモン伯爵が亡くなると、ド・シャルトル公爵(後のド・オルレアン公爵)がグランドマスターとなり、フランスのフリーメーソンの改革・再編を目指す運動が起こり、パリで新憲章を作成するための集会が開かれ、1773年にはグランドロッジの廃止とグラントリアン(大東社)の創設が決定されました。
フランスのグランドロッジは少し複雑で政治的であります。 グランドロッジ・オブ・パリには、もともと内部に階級に基づく派閥主義が横行し、1765年には政治的危機が爆発し、中流階級派閥のリーダーであったラコルネが、上流階級に属するグランドロッジの指導者を追放してしまいました。
その後、追放されたグループはなんともう一つのグランドロッジを設立してしまい、それに偉大なるオリエントという意味のグラントリアンという名前をつけ、結果的にもともと存在していたグランドロッジは空中分解し消滅してしまったのです。
グラントリアン(大東社)はリーダーであるド・シャルトル公爵により組織的改革が行われ、より無神論的な、理性へのさらなる信仰をロッジの信条とするに到ります。

フリーメーソン-9 グラントリアン(大東社)
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フランスのフリーメーソン活動と、イギリスのフリーメーソン活動には差がありましたが、それはイギリス系のロッジがフランスに出来る前に、既にスコットランド系のロッジがフランスにはあり、スコットランドは薔薇十字団の残党が住み着いた場所であった為、フリーメーソンが職人ではなく、薔薇十字団にそのルーツを求め、どちらかというと上流階級と中流階級のエリート層で構成されていました。 また、神に関する考え方にも相違がありました。
グラントリアンの創設は、フランスのフリーメーソンのイギリスからの独立を意味するもので、イギリスのグランドロッジが神の存在と魂の不滅性を大前提としていたのに対し、グラントリアン(大東社)は、その前提を否定しし、さらに急進的な無神論的結社となってゆきました。
オリアン(東)は、太陽の昇る方向として光を意味し、フランスを導く 「 偉大な光 」 という期待が、この名称にはこめられていたのです。
ド・シャルトル公爵は、居酒屋でロッジを開催することを禁止したり、入会に一定の基準を定めたり、意欲的に改革を進め、その結果として多くの貴族・富裕商人・知識人がロッジに集まるようになりました。 私の経験では、現地の人にはロッジの事をアトリエと言わないと通用しない場合もあります。 ロスチャイルドという名前も、ヨーロッパではローチーと発音しないと、なかなか分かってくれない場合が多いです。
ド・シャルトル公爵がグランドマスターになった時、104のロッジが登録されていました。その内訳は、パリに23、地方に71、軍事ロッジが10でしたが、1789年になるとパリに65、地方に442、植民地に39など合わせて600あり、フランス革命が始まる時点では、ロッジ数600、会員数2万〜3万人の勢力を誇り、議会・軍隊・教会・宮廷から小さな町まで、至る所にフリーメーソンがいたとされています。
この頃、特筆すべきものとして、南ドイツのインゴルシュタット大学法学部教授、アダム・ヴァイスハウプトによって、1776年5月1日に創設された 「 イルミナティ 」 があります。 このイルミナティに資金援助っを行ったのが、、ロスチャイルド財閥の祖、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1744-1812年)です。

アダム・ヴァイスハウプト (1748〜1830)
「イルミナティ」 という言葉は、サタン(ルシファー)に由来し、「光を掲げる者」という意味を持っています。 イルミナティの目的は、知的能力を実証された人々が世界を治める「世界単一政府」を生み出すこととされ、文学・教育・美術・科学・財政・産業の分野でもっとも聡明な人々を含む2000人もの結社員を集めました。
結社結成の日、ヴァイスハウプトは「Novus Ordo Seclorum」というタイトルの本を出版していますが、このラテン語の意味は「新世界秩序」で、ヴァイスハウプトの掲げたイルミナティの行動綱領は以下の通りです。
1、すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立。
2、私有財産と遺産相続の撤廃。
3、愛国心と民族意識の根絶。
4、家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現。
5、すべての宗教の撤廃。
この危険な思想のため、彼は弾圧され、世界最大の秘密結社組織「フリーメーソン」に逃げ込むようにして入会を果たし、その後ヴァイスハウプトは、フリーメーソンのロッジでも最高位に登りつめ、フリーメーソン内にイルミナティ組織をつくり、フリーメーソンは変質してゆく事になりました。
フリーメーソン側も、この危険思想のヴァイスハウプトを追放しようともしましたが、時既に遅く、既に強大な力を持ったヴァイスハウプトを追い出すことはできず、1782年7月16日にイルミナティとフリーメーソンの間で会談が行われ、協議の結果、イルミナティは正式にフリーメーソンの中のひとつの派とすることになったのです。
フランス革命は、様々な要因によって引き起こされましたが、そのもっとも大きな要因はルイ14世の時代から続く戦争による出費が引き起こした財政難で、フランスの人々が飢えに苦しんだからで、一般論ではマリーアントワネットの無駄遣いがあげられていますが、桁が違います。
1667−1668年 ネーデルランド戦争
1672−1678年 オランダ侵略戦争
1701−1714年 スペイン継承戦争
1754−1763年 イギリスとの北米植民地戦争
1775−1783年 アメリカ独立戦争
1789−1799年 フランス革命
とどのつまりは、この北米の植民地戦争でイギリスに破れ、またアメリカの独立戦争に巨額の支援をしたことにより、
フランスの国家財政は、収入が5億ルーブルに対し、支出が45億ルーブルと、支出が収入の約9倍と大赤字を抱える事になり、
食べる事にも事欠くようになった民衆の不満と怒りが爆発し、フランス革命は起こったのであり、彼女の浪費など、たかが知れた物くらいである事は、常識で考えても分かる事です。
マリー・アントワネット
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/202.html
この時、マリー・アントワネットを罠に嵌めたのが、このイルミナティの創始者であるアダム・ヴァイスハウプトとグラントリアン(大東社)のグランドマスターであったド・シャルトル公爵であります。

ド・シャルトル公爵(後のオルレアン公 1747 - 1793)
ド・シャルトル公爵は、ルイ14世王の弟の家系に属する公爵でありますが、恐ろしいまでの陰謀を企てて、ブルボン家を滅ぼしてルイ16世の王位を奪おうという野心を持っていので、フランス革命は彼にとって絶好の機会であったのです。
フリーメーソン-9 グラントリアン(大東社)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/599.html
フリーメーソン-8 3つの世界大戦
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/598.html
フリーメーソン-7 イルミナティ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/597.html
そして、フランス革命は、イルミナティに乗っ取られてしまった、当時のフランスのフリーメーソンの関与があったのは明らかであります。
フランス革命の 「自由」 「平等」 「博愛」 は、まさにフリーメーソンのスローガンそのものであり、何よりフランス革命での人権宣言を見てください、フリーメーソンのシンボルマークである 「 全てを見通す目 」 が描かれています。

さらに、キリスト教会から迫害を受けていたユダヤ人、特に啓蒙思想のメンデルスゾーンなどがユダヤ人差別の開放を説き、ユダヤ人であるロスチャイルドがメンデルスゾーンやイルミナティを支援したという事があげらえます。
フランス革命が始まったのはバスチーユですが、次に紹介する写真はパリの地下鉄でバスチーユ駅を降り、地上に上がったところにある地図であります。 見ていただくと分かるように、至る所にダビデマークがありますが、これは全てユダヤ教会(シナゴーク)であり、ユダヤ教徒の関与もあった事を十分に示すものであります。

しかしながら、フランス革命ではルイ16世の体制側(王族・貴族側)のフリーメーソンも断頭台の露と消えており、フリーメーソンという組織そのものがある目的を持って革命を起こしているのではなく、あくまでも啓蒙主義思想が産み落とした、フリーメーソン思想が革命に影響を与えているという認識を持つ事が必要です。
フリーメーソンとは何か まとめ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html
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