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2008/8/20

フリーメーソン-155  フリーメーソンとは何か-30  黒船来襲:ペリー提督  フリーメーソン
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Matthew Calbraith Perry ( 1794 - 1858 )


徳川時代、黒船艦隊を率いて鎖国を続けていた日本に来航し、フィルモア大統領の親書を携え、日本を開国させた、東インド艦隊司令官のペリー提督はフリーメーソンでありました。




ペリー提督が所属していたロッジは、ニューヨークの 「ホーランドNo.8」 で、フリーメーソンにとっては、定期的な儀式は欠かすことが出来ないため、英米の軍艦にはロッジがつくられており、いうまでもなく、黒船にもロッジがつくられていました。


日本に開国を迫ったアメリカの当時の状況は、

東海岸の13州をもってイギリスから1783年に独立し、原住民のインディアンと戦いながら、メキシコとの米墨戦争(1846-1848)を勝ち抜き、西海岸のカリフォルニアに至り、

ジョン・L・サリバンが 「併合論」 に書いてあるように、「北米大陸での膨張は自由の拡大という神に与えられた使命である」 と、国土の拡大をアメリカ人は「神の摂理」と理解し、それを明白な宿命(Manifest Destiny)と表現し、熱狂的に西部開拓を行い、その延長上に太平洋の彼方の日本がありました。

また、科学技術の発展により、工場は夜遅くまで操業していましたが、まだ石油が発見される前であったので、灯りは鯨油を燃やしてとっていました。  その鯨油を確保するために、捕鯨は盛んで、1846年の統計では736隻出漁し、日本近海でも約300隻が操業しており、アメリカは港を必要としていたのです。


一方、政治的には、当時はイギリスがスエズを陸路で通過し、インド、シンガポール、香港、上海までの航路を開いており、日本まで支配下におかれると、アメリカは太平洋進出の足場を失ってしまうと考えており、

ペリー率いる日本遠征艦隊には、サスケハナ号(2450トン)とポーハタン号(2415トン)が含まれていましたが、当時2000トンを超す蒸気軍艦はアメリカだけが保有していたもので、

何故喜望峰を回り、インド洋からシンガポール、上海に至るルートを選んだのかと言うと、イギリスに対する軍事的パフォーマンスの目的もあったわけです。

上海を出航した艦隊は、沖縄に立ち寄り、小笠原諸島に向かいましたが、ペリーは本国に 「イギリスの極東における勢力に対抗するには、沖縄にアメリカ海軍基地を建設すべきである」 と書き送っており、  

アメリカの沖縄駐留軍の構想は、江戸末期のペリーの時代から既あり、地政学上、今でも沖縄は重要な位置にあります。

江戸幕府に、国書を渡したペリーは再び沖縄に行き、琉球政府に強要し、貯炭所建設を認めさせ、

こうして、フリーメーソンンの大物、ペリー提督が来航して以来、日本の歴史はフリーメーソンと深く関係をもつようになります。



フリーメーソンとは何か  まとめ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html







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