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2008/8/21

フリーメーソン-156  フリーメーソンとは何か-31  ジョン万次郎  フリーメーソン
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中濱万次郎 ( 1827 - 1898 )
高知県足摺岬にあるジョン万次郎の銅像 : 左手にフリーメーソンのシンボルである直角定規とコンパスを持つ


高知県土佐清水市の中浜に、貧しい漁師の子として生まれた中濱万次郎(ジョン万次郎)は、14歳の時に漁で遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられて、そのまま船長にアメリカに連れて行かれ、育てられました。  そしてペリー来航の2年前に帰国し、幕府の旗本となり、アメリカとの交渉の通訳として活躍することになりました。




フリーメーソン-31  ジョン万次郎
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/623.html


誰もが知る、幕末の英雄ジョン万次郎ですが、彼ほど謎の多い人物はおりません。 まるで、ペリーの来航に合わせたかの如く、英語とアメリカ文化を教育され、2年前に日本に送り返されますが、

アメリカに滞在している間に、名門のペリー家、またルーズベルト大統領の祖父に当たるワラン・デラノ家の人々と人脈を築いているのです。   ただの漂流した日本人漁師の少年が、この若さでこれだけの大物たちと接触できるには、アメリカの政府かフリーメーソンなどの組織が関与しない限りありえない話であると思います。


ペリー家も代々フリーメーソンですが、ルーズベルト大統領の祖父のワレン・デラノは中国のアヘン貿易で財を成し、長男のフレデリック・デラノは中国で生まれ、さらに彼は、ロスチャイルドの米代理人のJ・P・モルガンの経営する金融機関「クーン・ロ−ブ商会」と組んで、多くの鉄道を乗っ取り、アメリカの大鉄道経営者になり、デラノ家は代々メーソンで、ここから必ず300人委員会のメンバーが選出されるほどの名門であります。

アメリカ第30代大統領カルピン・クーリッジも、 「ジョン万次郎の帰国は、アメリカ最初の大使を日本に送ったに等しい」 とまで言い切っています。

そして、ペリー提督も、日本語のできる諜報部員を育成する必要があると、日記に書いていた時期でありました。


そして、日本に帰国したジョン万次郎は、身分が貧しい漂流した漁師でありましたが、徳川幕府とアメリカの交渉で通訳として活躍したときは、なんと旗本の身分にまでなっていました。 

士農工商の、厳しい身分制度のあった徳川時代で、先ず前例のない事であると思います。 彼がフリーメーソンであったかどうか、知る由もありませんが、アメリカのフリーメーソンに諜報部員として教育され、日本に送り返された、アメリカ側のエージェントであった事は、この銅像の直角定規とコンパスを見る限り、間違いないでしょう。




フリーメーソンとは何か  まとめ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html







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