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2008/9/7

フリーメーソン-168  フリーメーソンとは何か-43  マッカーサーとGHQ  フリーメーソン

1945年8月15日、ポツダム宣言受諾から2週間後の8月30日、日本の運命を握る、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立ちました。  マッカーサーは、フリーメーソンで、彼が所属していたロッジは、Manila Lodge No. 1, Phillipinesであります。 マッカーサー元帥は、厚木飛行場を降り立つとすぐ、フリーメーソン東京支部用の建物の確保を指令し、東京・麻布の旧海軍水交社の建物を接収し、屋上に、定規とコンパスのフリーメーソンのシンボルが掲げられました。


フリーメーソン-115  マッカーサー将軍
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/709.html


この、東京・麻布の旧海軍水交社が、第38メソニック森ビルにある日本グランドロッジになっています。 ビルの名前からして、フリーメーソンです。

戦後GHQは、日本軍が隠した貴金属を次々と発見し、米国政府の命令で米国本土に送り、米国の財産としなければなりませんでしたが、日本軍が記録に残していた貴金属と、実際に米国本土に送られた貴金属の量には大きな差がありました。 日本軍の隠した貴金属摘発を担当したのは、GHQのマッカート少将で、実際に実務を仕切ったのは、冶金課長のジョージ・パーディで、日本から奪われ米国政府にも渡されなかった膨大な貴金属は、パーディの手によって東京メソニック協会と言う財団法人に移され隠される事になります。

日本では、厚生労働省認可の財団法人 「東京メソニック協会」 と任意団体 「日本グランド・ロッジ」 傘下のロッジ群の2形態で構成され、メソニック協会所有の建物に日本グランド・ロッジが入居し、各ロッジの福祉関連事業は財団の事業予算で支援されています。

最近、ずさんな管理の年金問題が話題になっていますが、日本の厚生労働省は国民のためにあるのではなく、GHQとそれに尻尾をふり、労働組合などをも政治利用し、好き勝手し放題の反日左翼主義者達の巣窟なのであります。

民主党の管直人など、自分が厚生大臣の時、年金を納めておらず、知らなかったと、しらばっくれていますが、子供でも分かるウソをついて、国民を騙せれると思っている無邪気なアホで、年金問題にしても自分が大臣在任中に起こした管理の問題にも関わらず、自分の責任はさておき、今は左翼メディアを通じて、現大臣の枡添要一を非難するという、腐れ男なのであります。

また、民主党幹事長の鳩山由紀夫の祖父が、鳩山一郎元首相でありますが、鳩山一郎はGHQのマッカーサーがフリーメーソンと知るや、日本グランドロッジ創設初期からいるフリーメーソンの村山有(元朝日新聞記者)に入会をお願いし、フリーメーソンになりました。

現在の民主党本部ビルの屋上にある、フリーメーソンのシンボルマークの目とピラミッドが描かれた大きな看板があるのも無縁ではないでしょう。 また、最近民主党は日本銀行総裁人事に執拗なまでに固執していますが、この理由については、私の考察を述べている下記のサイトにアクセスしてみてください。 これも国売りの一つなのでしょう。


フリーメーソン-110  ブレトン・ウッズ体制
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/704.html


何故か、厚生労働省認可の財団法人 「東京メソニック協会」 ですが、前述のように、日本から奪われ米国政府にも渡されなかった膨大な貴金属は、パーディの手によって東京メソニック協会と言う財団法人に移され隠され、その貴金属は、日本グランドロッジのある第38メソニックビルと背中合わせの第39森ビルを拠点に、東京都港区を中心とした、日本の優良不動産の買収に使われ、不動産に姿をかえてゆきました。

森ビルの資金源とは、戦後のどさくさにまぎれて、日本軍とGHQから略奪した貴金属であり、その背後には日本の厚生労働省、及び日本メソニック協会が関与していたと思われます。

西洋社会では、ラッキーナンバーとしての7(メソポタミアのシュメール文明の七曜から来ている)、トリニティの3(キリスト教の三位一体)、不吉な13の金曜日(アダムとイヴが禁断の果実に手を出したのが金曜日、人類最初の殺人アベルがカインに殺されたのが13日の金曜日、イエスキリストが磔刑が13日の金曜日)と、数字が何らかの意味を成しています。  タロット占いで13番目のカードは、死神です。

フリーメーソン組織は33階級ありますが、33という数字を聞いて思い浮かなければならないのは、ユダヤ教のシンボリックな存在のソロモン神殿が建設されて33年間ヤハヴェ神の神殿として輝きを放っていましたが、その後ローマ帝国の兵士に破壊された事、またイエスキリストの生涯も33年間でありました。

そして、日本グランドロッジのある、第38メソニックビルの隣には、東京タワーがそびえ立っておりますが、東京タワーの高さは333メートル、竣工は昭和33年の天皇誕生日です。

この日本グランドロッジがある場所は、元海軍水交社であったことを前述しましたが、東京大空襲のなか、何故かこの建物は無傷で、日本帝国海軍水交社はフリーメーソンの巣窟であり、思いたくありませんが、当時の敵国であるアメリカやイギリスと繋がっていたと指摘されています。

実際、日本帝国陸軍と日本帝国海軍は仲が悪く、戦後我々日本人は、「悪玉の日本帝国陸軍」 、 「善玉の日本帝国海軍」 とGHQに刷り込まれましたが、何故か東京裁判でも海軍の大物達は罪に問われておりません。  例をあげれば、第二次世界大戦中の連合艦隊司令長官、海軍大臣で、第37代内閣総理大臣であった岩手県出身の米内光政、そして連合艦隊司令長官、海軍大将・元帥の新潟県出身の山本五十六、第四艦隊司令長官で最後の海軍大将の井上成美は、日本海軍士官の「水交社」のメンバーで、フリーメーソンでありました。

東京裁判では、A級戦犯の汚名を着せられ、7人が絞首刑にされましたが、外交官の広田弘毅をのぞいて、他は全て陸軍の将軍たちで、リメンバー・パールハーバーでアメリカ国民を激昂させた海軍の軍人は1人も含まれていないのであります。


フリーメーソン-114  東京裁判
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/708.html


また、ことごとく暗号を解読された日本帝国海軍ですが、山本五十六の関与を疑う声はいまでも根強くあり、東京裁判でも裁かれないフリーメーソンの大物軍人達、また旧海軍水交社にある日本グランドロッジを考えるとき、何がしかの関係を疑うのは当然の事でしょう。

ポツダム宣言を受諾した日本は、1945年9月2日、東京湾に浮かぶ、米軍艦ミズリー上で、連合軍最高司令官マッカーサーと、重光葵外相との間に降伏文書の調印がおこなわれました。


フリーメーソン-113  ポツダム宣言受諾
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/707.html


調印式のさいミズリー号に飾られた星条旗は、92年前、日本の開国を迫った、フリーメーソンであるペリー提督の旗艦のマストにひるがえっていたものでありました。 


フリーメーソン-27  黒船襲来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/619.html


マッカーサーは日本を占領すると、日本のすべての力を奪い、戦力に結びつく可能性のあるものはすべて破壊し、あらゆるものを奪って日本の去勢化を推し進めました。  反日左翼思想の植え付けもその一つです。



団塊世代と左翼思想
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/188.html
フリーメーソン-75  カールマルクス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/668.html
右翼団体 実は反日左翼団体のやらせ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/490.html


GHQの政策は、必ずしも一本化はしておらず、社会主義に傾倒していたルーズヴェルト大統領の影響を受けていた、ニューディール政策を信奉する者が、当初のGHQに相当数入りこんで、格好の実験場として、彼らが理想とする青写真をもとにして、日本改造を試みました。

しかしながら、GHQの中には、彼らの行き過ぎを危惧する動きもあり、GHQの指揮系統には混乱が見られ、しばしば内部対立の原因となりました。  その典型が、民生局 「GS(ガバメント・セクション)」 派と、「G2(参謀第二部)」 派の対立であります。 この両派の対立が、日本の内政やパワーポリティクスに大きな影響を与えました。 そこには、自分の頭で日本の将来を考えるのではなく、GHQにすぐに洗脳され、また戦勝国に尻尾をふる、愚かな日本人政治家やメディアの姿があったのです。

ニューディーラー達が活躍したのは、占領初期の話であり、次第に本国に帰還し、1947〜1948年の占領政策の転換以降は、G2が勢力を伸ばし、今日の政治形態となっています。 当初、GHQが労働組合の育成を支援していましたが、これは安価な日本製品がアメリカの産業を脅かさないようにするためであります。

マッカーサー将軍に、まつわる話として、昭和天皇との会談を忘れる事は出来ません。 1945年9月10日、昭和天皇を戦犯として裁くことが、アメリカの政策であるとの決議案が、アメリカ議会に提出されました。 この決議案の背景には、アメリカ本国と連合国とに沸き起こった、天皇の戦争責任を追求する世論があったからです。

9月中旬、新たに外務大臣になった吉田茂は、昭和天皇に招かれ、皇居を訪れました。 昭和天皇の用件とは、マッカーサー将軍に会いたいということだったのです。 9月20日午後、吉田は、昭和天皇の意向を伝えるため、マッカーサー将軍を訪れましたが、マッカーサーは天皇陛下の自尊心を傷つけるような事があってはならないと、GHQではなくアメリカ大使館に招待することになりました。

お互い、激しい争いを行った後でも、相手側に礼を尽くす、これが古今東西、人としてあるべき姿であります。  国と国民を守るために、戦争で戦い、尊い命を落とした靖国神社に祭られている先人達への礼節を、今からの若い人たちは是非守って欲しいものだと思います。

1945年9月27日午前9時50分、シルクハット、モーニングで正装した昭和天皇を乗せた車が、アメリカ大使館公邸に向かって、皇居を出発。  10時5分過ぎ、レセプションルームで出迎えたマッカーサーは、昭和天皇を部屋の奥へと案内し、写真撮影の後に2人の会見が始まりました。  欧米に植民地化された国々の指導者達がそうであったように、マッカーサーは天皇陛下が命乞いをするものだと思っていましたが、昭和天皇が語った言葉は、
  
「 私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした 」  

この時、マッカーサーは感動し、 「 私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである 」  と述べています。

35分にわたった会見が終わった時、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わり、マッカーサーは、戦勝国側の将軍として、本来見送りをしてはいけない事になっていましたが、思わず、自ら昭和天皇を玄関まで見送りました。 マッカーサーにとって、最大の好意の表れだったのです。  これを機に、マッカーサーは親日家となってゆきました。  

このわずか、35分の会談が、その後の日本占領体制に大きく影響し、アメリカは日本を重要な信頼のおけるパートナーとし、良好な日米関係を築いてゆく事ができ、日本は高度経済発展を遂げる事ができたのです。

写真掲載の3日後、マッカーサーは軍事補佐官から、天皇について進言を受けました。

「もしも天皇が、戦争犯罪人のかどで、裁判にかけられれば、統治機構は崩壊し、全国的な反乱が避けられないだろう」 と。

この年11月、アメリカ政府は、マッカーサーに対し、昭和天皇の戦争責任を調査するよう要請しましたが、マッカーサーは、「 戦争責任を追及できる証拠は一切ない 」 と回答しました。

敗戦から1年余りの1946年(昭和21年)11月3日、それまでの大日本帝国憲法に代わって、GHQ改正案を元に政府が手を加えて、日本国憲法が公布されましたが、その第1条にはこう書かれていました。

「 天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく 」


天皇と日本
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/113.html


また、戦後に昭和天皇は、マッカーサー将軍との会談で、何を話したのかを、いたるところで聞かれましたが、 「 マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにも言わないと、約束を交わしたことですから。  男子の一言の如きは、守らなければならない 」 と、1989年1月、昭和天皇が亡くなるまで、ついにマッカーサーとの会見の内容について語ることはありませんでした。



フリーメーソンとは何か  まとめ 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html

 





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