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2009/4/12

ローマ帝国の物語-3 エトルリア  ローマ帝国の物語
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エトルリアの領土 (色の濃い部分がBC750年、薄い部分がBC750-500年に拡張)


エトルリア(Etruria)は、BC8世紀-BC1世紀頃にイタリア半島中部にあった都市国家群で、各都市国家は宗教・言語などの共通点を持ち、統一国家を形成することはありませんでしたが、12都市連盟とよばれるゆるやかな連合を形成し、祭司・軍事で協力することもありました。  しかしながら、BC4世紀ローマの勢力が強くなると、端の都市から順に少しずつローマに併合され、最終的にはローマと同化、BC87年にはユーリウス法で、エトルリア人もローマの市民権を得ています。 

エトルリアは、古代ギリシアや古代ローマとは異なる独自の文化をもち、高い建設技術をも持ち合わせて都市国家ローマの建設にも活かされました。 王政ローマの7人の王の最後の3人は、エトルリア人で、近世イタリアのエトルリアル王国や現在のイタリアのトスカーナ州、ティレニア海などの名前は、エトルリアルに由来しています。 トスカーナとは「エトルリア人の土地」という意味で、ティレニア海は「エトルリア人の海」という意味です。

BC5世紀のギリシアの歴史学者ヘロドトス(BC484〜425?)によれば、エトルリア人は、アナトリアル半島のリディアからやってきたと言うことになっており、18年間にもわたる飢饉に苦しんでいたリディアでは、国王が国民全員を二つに分けた上でくじをひかせて、片方に港町で船をつくらせ、つくった船に全財産とともに乗り込ませ、息子のティレヌス(Tyrrhenus)に率いさせ、新天地を探させ、最終的にイタリア半島のウンブリア(Umbria)上陸した彼らは町をつくってそこに定住したとしています。



話を、トロイの木馬で、ギリシアに敗北し、トロイアから追われたアイネイアスに戻しますが、


ローマ帝国の物語-1 トロイの木馬
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/858.html
ローマ帝国の物語-2 アイネイアスの放浪
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/859.html


彼は、イタリアのラティウムに流れ着き、そこを治めていたラティヌス王の娘ラウィニアと結婚し、新たな町を建設し、そこの王となり、その町を、妻の名前をとって、ラウィニウムと名づけたところまでは、既にお話しました。

ラウィニウムの建都は順調満帆に進んだわけではなく、アイネイアスとラティヌ王を恨んでいた男がおりました、彼はルトウル人の王トウルヌスでありました。 彼は、ラワイニアと婚約をしており、それをアイネイアスに横取りされたからです。

トウルヌスは、ラティヌスの王妃アマタの支持も受け、アイネイアスに戦いを挑むことになりました。 この戦いで勝利したアイネイアスですが、この戦いでラティヌ王の後ろ盾を失い、しかも戦いに敗れたルトウル人たちがエトルリアに逃げ込み、エトルリアの王メゼンティウスはルトウル人たちと同盟を結んでしまいました。

当時のエトルリアは、強大な都市国家で、独自の言語を持ち、ギリシアにも匹敵する技術力や軍事力を持っており、この大国を敵に回しては、アイネイアスは自分の家来だけで戦って生き延びる事は不可能でした。

そこでアイネイアスは、もともとこの土地に住んでいたアボリギネス人とトロイア人を一致団結させるために、亡きラティヌ王から名前をとった「ラテン同盟」を結成し、双方の市民に同じ権利を保障しました。

攻撃は最大の防御と考えたアイネイアスは、強大なエトルリアに攻め込まれる前に、攻撃し、幸いこの時はラテン同盟が勝利を収めましたが、これから長い間、アイネイアスの子孫とローマは、エトルリアに悩まされることになります。






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