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2009/4/23

ローマ帝国の物語-11 第三代王トゥルス・ホスティリウス    ローマ帝国の物語
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■ ホラテウス兄弟の誓い ( The Oath of the Horatii ) 1784
ジャック・ルイ・ダヴィッド ( Jacques-Louis David : 1748-1825 )
│Oil on canvas│330 x 425 cm│Musee du Louvre, Paris│


ヌマの後を受けて王に選出されたのは、トゥルス・ホスティリウス(BC673-641)でした。 ロムルスと同様、ラテン系のローマ人だった彼は、ロムルスに似て攻撃的な男で、そして、この男に率いられたローマも、ヌマによる内部充実の時期を経て、外部への発展の機にありました。

王トゥルスは、ラテン人発祥の地かつローマ人の祖先の地でもあるアルバを攻撃の第一目標としますが、開戦の理由を見つけるのは簡単で、両国の国境近くに住む農民たちの間で争いが起こり、それによって生じた略奪行為の弁償をアルバ側が拒否したことが開戦の理由となりました。

しかし、アルバも80年の歴史しか持たないローマに比べれば、400年の歴史を持つ大国で、簡単に勝てる相手ではありません。 トゥルスは、強大なエトルリアがすぐ近くに存在するのに無用な出血は両国の為にならないとし、代表者同士の決闘という形での勝負を提案する事になります。


両軍にはそれぞれ、3人づつの兄弟がいましたが、ホラティウス家の若者3人とクリアティウス気の3人であります。 彼らが、それぞれの祖国を代表して闘うことになり、決闘に勝った側の国が、負けた側の国を平和裡に治めることが決められました。

激しい戦いで、まずローマ側の一人が倒れ、二人目もアルバの騎士の剣の下で動かなくなりました。 一人残ったローマの戦士は恐怖で胸が縮み、一目散に逃げ出しました。
逃げながら背後を振り返った彼は、アルバの騎士3人の距離が離れていることに気づき、一人づつ片付けてゆき、最後に勝ったのはローマの騎士ホラティウスの方でありました。

しかしながら、国の運命をたった一度の決闘で決められてしまったアルバの王は我慢がならず、王は約束を守らないどころか、近隣の部族を反ローマに扇動しました。 近隣部族とローマは戦うこととなってしまい、戦況はローマ優勢のうちに進みましたが、自ら軍を率いて戦っていた王トゥルスは真の目標は目の前の部族ではなく、アルバであることを忘れず、ローマ軍は雪崩をうってアルバに攻め込み、アルバはひとたまりもなく落城し、王は捕らえられました。

トゥルスは、ローマとの約束不履行の全責任は王にあるとし、アルバの王は片脚ずつ二頭の馬に結わえつけられ、馬はそれぞれ反対の方向に向けて鞭をいれられました。 これが、ローマ人が行った最初の極刑になります。

アルバの都市は徹底的に破壊され、住民たちはローマへの移住を強制されましたが、奴隷としてではなく、ローマ市民として迎え入れられました。 ローマ人と同等の市民権を与えられたこれらの人々の住む地域として、チェリオの丘が当てられます。 クインティリウス、セルヴィウス、ユリウスなどのアルバの名門家は、ローマ貴族に列せられ、その代表者には、元老院の議席が提供されました。 

もし、この時、アルバの住民が全滅させられていたり、奴隷にでもされていたら、ウリウス一門から生まれる、後のユリウス・カエサルは存在することはなかったでしょう。

このアルバ攻略は、単なる近隣部族の攻略とは意味がちがい、ラテン民族の母国は、これからはローマであることの宣言で、ローマはもはや、はみ出し者の集まりではなく、ラテン民族の本家になった事を意味します。

そして、ローマ人は、ロムルス以来の敗者同化の路線は継承しても、約束を守らなかったり、裏切り行為をしたりする者に対しては、容赦しないという路線もここで打ち出されることになります。

サビニ人の同化で、既に倍増していたローマの人口は、アルバ人の同化でさらに増大し、ローマの戦力もこれで一段と増強されることになり、

その軍事力を率いて戦いに戦いを重ね、ロムルス以上の軍事的栄光に輝いたトゥルスの治世も32年間で終わりますが、史家リヴィウスによれば、雷に打たれての死であったとの事でした。







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