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2009/4/25

ローマ帝国の物語-13 第五代王タルクィニウス・プリスコ  ローマ帝国の物語
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王政ローマ第五代王
ルキウス・タルクィニウス・プリスコ( Lucius Tarqinius Priscus : BC616-579 )


アンクスが王位にあった時代のローマに、牛に引かせた荷車を何台も連ねた異邦人の一家が入ってきましたが、この人々の華麗な装いと、長く伸ばした髪から、彼らがエトルリア人であることは誰にも分かりました。




しかしながら、この一家の当主であるタルクィニウスは、純血のエトルクスではなく、ギリシアのコリントからエトルリアに亡命したギリシア人を父に、エトルリアでも位の高い家の出身であったエトルリア人の母の混血でありました。

エトルリアの社会は閉鎖的で、ビジネス上の関係ならば民族の別を問いませんが、自分たちの社会に別の血が入ってくるのは嫌いました。

そのエトルリアでは、生涯異邦人であることから抜けられず、地位の向上など絶望とみたタルクィニウスはエトルリアの外で運を試そうと決め、ローマにやってきたのです。

先王アンクス・マルキウスは彼の素質を見抜いて自分の養子とし、息子の護衛としましたが、先王の死後になって彼は民会で自分が王に適切であると主張し、実子に代わりローマの王となりました。

王になってすぐにローマはサビニ人の攻撃を受け、彼の資質が試される事になります。
一時はローマの市内での戦闘になり、彼はこれを辛くも撃退、そして今度はエトルリア人都市へ出征、出征は成功を収め、多くのエトルリア人都市を攻略し、彼は数多くの略奪品をローマにもたらしました。 彼の治世にケントゥリア(百人隊)を2倍とし、下層の出自の者から100名を選び元老院に加えましたが、その多くがオクタウィウス氏族の者でありました。

彼は有能な王で、内政に関しても多くの事業を成し遂げました。 

現在ではチルコ・マッシモと呼ばれる戦車競技場の原形を作り、ローマの丘に囲まれた低地の水気を吐くために水路を作り、フォルム・ロマヌムの原形を築き、そしてラテン人、サビニ人から得た略奪品を使って、七つの丘のうちで最も高いカピトリーノの丘の上には、ローマの神々の中での最高神ユピテル神を祀る神殿を築きました。

そしてこのローマの神々のための勝利を祝うために凱旋式という儀式を創り上げたのも彼であり、この凱旋式はエトルリア人の儀礼から取られ、後にローマには重要な祭典のひとつになっていきます。 

そして、以前のローマでは家内工業でしかなかった産業が街中に目立つようになり、経済は活発となり、商工業の活性化により、人々の生活は向上しました。 このローマは
タルクィニウス王の時代に、多くの面で、都市国家としてバランスのとれた構造を持ちはじめていました。


そんなある日、タルクィニウスは、生まれが定かではない一人のエトルリアの少年と出会い、王はこの少年が気に入り、自分の実の子と一緒に育てることにしました。

少年が、若者の年齢に達する頃には、彼の理髪さと勇気に対抗できる者は、ローマの貴族の子弟の中には一人もいなくなっており、タルクィニウスは娘の夫に、このセルヴィスを選びます。

この厚遇が、タルクィニウスの後の王位を狙う、先王アンクスの息子二人を不安にさせ、タルクィニウスは暗殺されてしまいます。  暗殺には成功したものの、結局王位に就いたのは、セルヴィスで、彼は王政ローマ第六代王に即位しました。

セルヴィスを王にもった事は、ローマの市民にとって、またもいっそうの飛躍を約束することになりますが、タルクィニウスの人を見る眼は確かであったといえましょう。








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