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2009/5/4

ローマ帝国の物語-17 共和制ローマのはじまり  ローマ帝国の物語
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初代執政官 ルキウス・ユニウス・ブルータス(Lucius Iunius Brutus:BC509-BC508)


王政ローマ最後の王、タルクィニウス・スペルブスの私的なスキャンダルを巧みに利用して、王政打倒にもっていった最大の功労者は、ルキウス・ユニウス・ブルータスで、彼は以後500年もの間続く、共和制ローマの創始者になりました。 

しかしながら、250年もの間、慣れてきた王政から共和制への移行は、大変革で、変革は変革を呼び、時にはあらゆることが次々と起こります。 ローマの有力な家柄の若者たちの間に不満が起こってきました。 それは、家長になり元老院に入れるようになるには家長の死まで待たなくならねばならなくなってしまったからです。 王がいた時代は、王の気分しだいで抜擢される可能性が十分にあり、名門の子息たちにとっては共和制への移行により、自分たちの活躍の機会が減ったと感じていたのです。 

そして、ひそかに仲間の一人の家に集まった若者たちは、追放されているタルクィニウスを呼び出し、王政復古を企てました。



この一部始終を立ち聞きしていた、この家の奴隷が執政官に密告し、すぐに陰謀に加担した全員が逮捕され、証拠の誓約書も押収されました。  尋問に当たった、二人の執政官(ブルータスとコラティヌス)にとっては深刻な打撃で、それは若者たちの全員がよく知った仲の者たちで、会合に場になったそのうちの一人は、執政官コラティヌスの親族の家で、王政復古を謀ったこの若者たちの中には、執政官ブルータスの二人の息子もいました。

ただちに召集された市民集会で、若者たちの署名のある誓約書が読み上げられ、彼らのうち誰一人、国家反逆罪とされた若者に対し、反駁できたものはいませんでした。

ブルータスは、この時、執政官としてではなく、子に対しては生殺与奪の権利さえもあると認められているローマの家族の家長として振舞いました。 ブルータスは、被告席に立つ自分の二人の息子に向かって言いました。 「ティトゥス、ティペリウス、お前たちは何故、お前たちに向けられた告発から身を守ろうとしないのか」

二人の若者は黙ったままで、、父親の質問は三度繰り返されましたが、答えはありませんでした。 そしてブルータスは警士たちに向かって言いました。  「これ以後の事は、あなた方の仕事となる」 

刑の執行は、その場でただちに行われることになり、まず首謀者と言うことで、ブルータスの息子二人が、衣服を剥ぎ取られ、後ろ手に縛られ、鞭打ちがはじまりましたが、その場に居た誰一人、この残酷な情景を直視できたものはいませんでした。

ただ、ブルータスだけが、視線をそらすことをせず、倒れるまで鞭打たれた若者二人は、今度は一人ずつ引きづられ、斧で首を切り落とされました。 そこまで立ち会った後で、はじめて、父親は退席しました。








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