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2009/5/24

ローマ帝国の物語-24 ラテン同盟戦争  ローマ帝国の物語

ローマがケルト人たちの攻撃を受けているとき、ラテン同盟諸国にも知らせは届いていましたが、誰もローマを助けようとはしませんでした。  本来は、同盟国同士は対等であるはずですが、ローマが強大になってしまって、実質はローマが盟主となっていたので、それが面白くなかったのです。


同盟国の思惑通り、ローマはケルト人に敗北しますが、予想外なことにケルト人はローマを支配しようとせず、すぐに立ち去ってしまいました。

これは、ケルト人は優秀な戦士であっても、都会人ではなく、ローマを占領したものの、ローマという都市を管理し使いこなすことが出来なかったのです。 水道の水は、死体を投げ込んだため飲めなくなり、小麦は倉庫の焼き討ちを楽しんだため食料は底をつき、死体を放置してあったために疫病が流行りはじめ、ケルト人までが毎日のように死んでいき、彼らが街の生活に飽きてきたためです。

それから約40年後、イタリア南部の山岳地帯サムニウム地方に住む、サムニウム人たちが豊かな土地の広がるカンパニア平原に侵入し始めました。 カンパニアの位置は、イタリアを長靴に見立てると、靴の底の中央に位置します。

彼らが、カプアの町に迫ると、カプアの人たちはローマに助けを求めました。 同盟に見放されたローマですが、彼らはその助けに応じて軍隊を派遣し、3年の年月をかけてサムニウム人を打ち破りますが、これを第一次サムリウム戦争と呼びます。

その後、サムニウム人たちは紀元前3世紀はじめまでの間に3回の戦争を引きおこしますが、常にローマに破れ、最終的にはローマの同盟国となりました。

この勝利にかこつけて、ローマはカプアの街とカンパニア平原を統治下におきますが、ラテン同盟はローマに対する不信感を高めます、それはローマに統治されるカプアを見て「明日はわが身」と考えたからです。

そこで、ラテン同盟の各国は、一致団結して紀元前340年にローマに戦いを挑みますが、これをラテン同盟戦争といいます。

戦いは、2年続いたのちに、ローマ側の勝利に終わり、ローマはラテン同盟を解体して、国同士が結託できないようにしました。 これが 「分割して統治せよ」というローマの外交政策のはじまりとなります。

近代の欧米の植民地戦略もこれを基本としており、宗派の異なるイスラム同士をいがみ合わせ、また我々東アジアでも日本、中国、北朝鮮、韓国をお互いけん制させいがみ合わせるように仕向け、アメリカは我々を統治しているのです。

アメリカの共和党政権は親日、民主党政権は親中の政策をとり、うまくコントロールしています。


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2009/5/24  22:48

投稿者:Nishitatsu1234

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