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2009/5/29

ローマ帝国の物語-28 第二次ポエニ戦争  ローマ帝国の物語
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最盛期のカルタゴの領土(青い部分)


カルタゴは、地中海に面した古代都市国家で、首都は現在のチュニジアのチュニス近郊にありました。 小さな国でありながら、地中海を利用した商取引で富を得て、強力な軍事力を保有し、カルタゴの国民はポエニと呼ばれました。


第一次ポエニ戦争で敗戦したカルタゴの将軍、ハミカル・パルカスは、家族と共に逃れ、ローマに一矢報いる機会を伺っていましたが、その家族に9歳のハンニバルがいて、

やがてハミカルが亡くなると、娘婿のハスドルバルが将軍となり、スペインの統治を進め、ハンニバルは一兵卒として彼に従いました。

ずば抜けた勇気と才能を持ったハンニバルは年上の兵士たちにも絶大な信頼を得て、紀元前221年、スペインの先住民にハスドルバルが暗殺されると、ハンニバルは16歳ながらに兵士たちに推されて、将軍になりました。


紀元前219年、スペインで地盤を固めたハンニバルは、ローマの同盟都市サグンドドウムに侵攻し、第二次ポエニ戦争の幕がきって下ろされました。


わずか8ケ月でサグンドウムを陥落させたハンニバルは、翌218年に4万の兵士と、37頭の軍像を連れてアルプスを越えました。 


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アルプス越えするハンニバル軍


アルプスを越える間に、数千名の兵士が命を失いましたが絶望する兵士たちを鼓舞しながら、アルプスを越えたところで、ハンニバルの前には9万のローマ軍が立ちはだかります。 紀元前216年6月、イタリア南東部カンナエのことでありました。

2倍以上の数のローマ軍を前にしても、ハンニバル軍は怖気づくことなく、中央突破を計ろうとしたローマ軍2万5000人を包囲し、その全員を討ち取り、続いて2万人を討ったところでローマ軍は敗退。


しかしハンニバルの活躍もここまでで、周辺諸国の離反は起こらず、唯一立ち上がったマケドニア軍は、ローマと条約を結び、その間にローマの新しい将軍となったスキピオがカルタゴを攻略し、ハンニバルは急遽、帰国するも、その後ザマの戦いで敗北し、第二次ポエニ戦争はこれで終わりを告げることになります。








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