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2009/7/23

ローマ帝国の物語-65  エルサレム教団 と アンティオキア教団     ローマ帝国の物語

紀元1世紀の中頃、原始キリスト教には、2つの教団がありました。
ペトロが率いる 「エルサレム教団」 と、パウロが率いる 「アンティオキア教団」 です。





両教団は、対立していたわけではありませんが、ユダヤの習慣を頑なに守り、ヘブライ語・アラム語を話すユダヤ人キリスト教徒(ヘブライスト)だけの集団である 「エルサレム教団」 に対し、

アレキサンダー大王によって確立されたヘレニズム文化の中で、コイネー・ギリシア語を話すユダヤ人や異邦人のキリスト教徒(ヘレニストの)の集団である 「アンティオキア教団」 では、異邦人が増えたことにより、ユダヤの文化・習慣を守らなくなってきて、

異邦人キリスト教徒にも、ユダヤ人キリスト教徒と同じように割礼を受けさせ、モーゼの律法を守らせるかどうか大議論となり、

「エルサレム使徒会議」 で、使途や長老たちは、異邦人に対してユダヤ人の伝統である割礼を施さなくても良いという結論を出しました。   もはや異邦人の増えた 「アンティオキア教団」 でユダヤ人の伝統を守らせるのは現実的に不可能な状態であったのです。

この結果、ユダヤの習慣を守ろうとする 「エルサレム教団」 はユダヤ人を対象に、 「アンティオキア教団」 では異邦人に対しても積極的に布教するようになりました。

アンティオキアは、当時のローマ帝国では、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ、3番目に大きな国際都市であり、この 「アンティオキア教団」 がキリスト教を、民族を超えた世界宗教にしていったのです。


後に、 「エルサレム教団」 と、 「アンティオキア教団」 は対立してゆきますが、 「エレサレム教団」 とのつながりを求めるパウロは、 「アンティオキア教団」 を離れ、単独で布教活動するようになりました。

カトリック総本山の 「バチカン」 の ローマ教皇 は、 エルサレム教団 の直系の教会であると自負し、初代の ローマ教皇 を 12使徒の ペトロ と定めています。

しかしながら、私の見るところでは マリア信仰は、ローマやギリシアなどの地中海沿岸にあった 「大地母神信仰」 がベースになっており、

カトリックでは、イエスをはじめ、聖母マリアや聖人たちの像をつくって崇拝していますが、これはまさしく偶像崇拝であり、多分にギリシア・ローマの文化・習慣、および土俗信仰に大きく影響されたものであり、原始キリスト教とは明らかに異なっているものであると思います。







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