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2009/8/18

ローマ帝国の物語-81  カラカラ帝  ローマ帝国の物語
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第21代ローマ皇帝 マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニアヌス(通称カラカラ帝: 在位211年-217年) 

紀元211年、念願の皇帝の座についたカラカラが最初に行ったのは、共同統治者となった弟ゲタの殺害で、それも母親の目の前で行うという残忍なものでした。 


カラカラは正当防衛であると主張するも、アレクサンドリアの市民は諷喩(ふうゆ)詩をつくり、彼のことを暗に非難しましたが、カラカラはそれを根に持ち、後年アレクサンドリアを訪れた際、市民数千人を虐殺しました。

ゲタを殺害したカラカラは、ゲタ支持者によって復讐されるのを恐れ、元老議員から一般市民まで、二万人以上を粛清(しゅくせい)、その粛清は徹底したものでゲタの死に涙しただけで処刑されるというものでした。

コンモドゥスが、自らをヘラクレスの生まれ変わりと信じ込んでいたのと同じように、カラカラはアレキサンダー大王の生まれ変わりと自称しており、大王と同じようにゲルマニアや東部属州地域への遠征をくり返し、国家財政は急激に悪化し、質の悪い銀貨を次々に発行せざるを得ませんでした。  その一つに、銀の含有量が少ないアントニアウス(カラカラの本名)銀貨の発行があります。

また、アントニアヌス勅令を出し、ローマ帝国内の全ての自由民に、無条件でローマ市民権を与え、ローマ市民だけのものであった特権を属州民は享受できるようになり大喜びしましたが、その実はローマ市民には相続税が課せられており、属州民をローマ市民化することにより、相続税による増税を考えていたのです。

彼の功績としては、217年に建設されたカラカラ大浴場がありますが、浴室のほかにサウナ、図書館、体育館、スポーツジムなどがあり、浴室の直径は34メートル、一度に1600人が入浴できました。


ゲルマニア戦線で勝利したカラカラは、アレクサンドリアで市民の大虐殺を行った後、パルティア征服に向かい、エデッサ(現在のイラク)のティグリス川を挟んで行われた初戦に勝利したカラカラは、カッラエ(現在のトルコ)へ移動したところで、親衛隊のマルティアスに背後から刺し殺されてしまいました。

                                            カラカラ 享年31歳


マルティアスは、その場で他の親衛隊員の殺されますが、この暗殺の黒幕には、親衛隊長マクリヌスがおり、カラカラの死後、マクリヌスが皇帝となっています。







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