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2006/1/17

東アジアとヨーロッパ-5  国際政治・金融・企業

火薬は、中国で唐の時代に既につくられていましたが、14世紀のヨーロッパでもイギリスとドイツに火薬工場はあり、エリザベス1世の時代(16世紀)には、火薬製造は王室の専売事業とし、1650年代のイングランドの歳出の90%は軍事費に当てられていました。

周知の通り、ヨーロッパと東アジアの貿易でも、アジアには絹織物、陶器、漆製品、香料、お茶など魅力的な商品が多く、多くの輸出をしましたが、ヨーロッパは輸出するものがなく、当時東アジアで流通していた通貨は銀貨であった為、スペインが侵略した南米のポトシ銀山から銀を略奪し、その銀でアジアの商品を買い付けたり、イギリスにおいては暴力を用いたアヘン貿易で、アジアから物を買い付けていました。



「近世ヨーロッパの最大の輸出品は暴力であった。」訳ですが、軍拡に邁進したヨーロッパ、特にイギリスに地球上の諸民族は振り回され、酷い目にあったのです。

しかしながらヨーロッパ列強の、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ロシアなどに侵略されなかったのは日本だけと言っても過言ではないでしょう。

その背景には、日本人の持つ高尚な精神、高い教育レベル、高度な技術力や軍事力が、アフリカ、アメリカ、他のアジア諸国とは違う事を、ヨーロッパの人達に一目置かせていた事に起因しており、後で紹介しますが、彼らの記録にも記されているのです。

また、中世の日本は世界に冠たる経済大国であったことも忘れてはなりません。

16世紀の当時は、国富は国が保有する金銀の量で計るブリオニズム(重金主義)説が主流で、世界最大の銀の保有国として、スペインが経済大国とされていました。 

銀を産出しないヨーロッパ各国は、血まなこになって、世界から銀を略奪し富を築こうとしていましたが、当時スペイン支配下の世界最大のポトシ銀山からスペインに輸送された銀の量と、日本から国外へ流出した銀の量が、ほぼ同じであった事はあまり知られておりません。 

スペインは暴力による略奪で、南米から銀を手に入れましたが、日本の場合は、鉱石に鉛を加えて溶融した後、灰に鉛を吸収させ、銀だけを分離抽出する「灰吹き法」と呼ばれる技術を確立し、山陰の石見・大森銀山や中国地方の生野銀山から、銀を効率よく産出しました。

スペインが中南米から銀を獲得し、「日の没することのない国」の経済繁栄を謳歌したというならば、日本は国産の銀を技術で同じ量を産出し、貿易していたわけですから、当時の日本は世界でも有数の経済大国であったと言えましょう。 

日明貿易においては、日本からは銀、銅、硫黄、日本刀を輸出し、中国からは生糸や絹織物、また陶器や絵画などの美術工芸品を輸入していました。 カトリックのイエズス会の宣教師たち、中でもフランシスコ・ザビエルは、日本への渡航目的が金銀の獲得にあると自ら述べています。

ちなみに、ボリビアのポトシ銀山は1570年から約100年間に渡り、各年250トンの銀を産出していたのに対し、日本では最盛期には年間600トン産出していたので、まさしく世界の経済大国「ジパング」であったのです。


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