2009/9/12
ローマ帝国の物語-89 ディオクレティアヌスの退位 ローマ帝国の物語

ディオクレティアヌスの離宮
健康を害したディオクレティアヌスは、305年に退位し、アドリア海に面したサロナで隠居生活を始めました。
ローマ帝国西部を治めていたマクシミアヌスもディオクレティアヌスと同時に退位し、コンスタンティウスとガレリウスの両副帝がその後をついで正帝となりますが、上位についたのは、才能・軍事力・性格と、全ての面から見てまさるコンスタンティウスでありました。
この措置は妥当なものでありましたが、ガレリウスは面白くなく、彼上に不満を持ったのはマクセンティウスで、彼はマクシミアヌスの息子で、かつガレリウスの義理の息子にあたり、当然副帝になれると思っていたのに、選ばれなかったからであります。
マクセンティウスは、親衛隊を率いてローマで蜂起、自ら真の皇帝と名乗り、イタリア・ヒスパニア・アフリカまでも手中に収めますが、副帝コンスタンティウスの庶子で、皇帝の名乗りを上げたコンスタンティヌスがローマに進撃し、マクセンセンティウスは大敗北を喫し、彼は2000人の部下と共に、テヴェレ川に落下し、死んでしまいました。
------------------------------------------------------------------------
















