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2009/9/14

ローマ帝国の物語-92  ローマ帝国を飲み込んだキリスト教  ローマ帝国の物語
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コンスタンティヌス皇帝(在位306-312) キリスト教の洗礼を受けた初めての皇帝


5世紀の歴史家ソゾメンによると、コンスタンティヌスはガリアまたはブリタンニアの辺りに駐在している間、現地で広まっていたキリスト教の洗礼を受けたとしていますが、洗礼の時期については、当時の風習に従い死の直前だったという説もあります。 コンスタンティヌスは自らキリスト教を信仰しただけではなく、宮殿でもキリスト教を広めようとし、コンスタンティヌスがキリスト教を広めた理由について、哲学者バートランド・ラッセルを始めとする多くの歴史家は、キリスト教の持つ組織力に目をつけたためだと指摘しています。




伝説によると、コンスタンティヌスが改宗したのは、神の予兆を見たためと伝えられ、コンスタンティヌスは、312年のマクセンティウスとの戦い(ミルウィウス橋の戦い)に向かう行軍中に天空に輝く逆十字とギリシア文字 Χ と Ρ(ギリシア語で「キリスト」の先頭2文字)が浮かび、並んで「汝これにて勝て」というギリシア語が浮かんでいるのを見たとされています。

ギリシア語でキリストを Χριστος と書きますが、この最初の2文字XとPを重ね合わせたもので、イエスキリストの象徴であります。

なお、この伝説はラクタンティウスなどいくつかの資料で詳しく伝えられていますが、4-5世紀頃の文献に多く現れる神の予兆や魔法などの話のひとつで、ちなみに、この後のローマ軍団兵の盾にはそれを模った紋章が描かれたといいます。


キリスト教の公認 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/466.html


312年、コンスタンティヌスはマクセンティウスとのミルウィウス橋の戦いに勝利し、ローマで元老院から西の正帝とされ、聖職者の公的負担からの免除、教会への財産贈与の自由などを認められました。 

313年、コンスタンティヌス帝は東の正帝リキニウスとミラノで会見し、属州総督に送った書簡の形で「ミラノ勅令」を公布、勅令は、ディオクレティアヌス帝の行ったキリスト教徒の大迫害の終結を宣言した311年のガレリウス帝の寛容令を受けて、あらゆる宗教に対し信仰の自由を認め、キリスト教徒を公認し迫害時代に没収された教会財産の返却などを定めており、ラクタンティウスによると、勅令は313年6月にニコメディアで公示されたとされています。


日曜日を安息日と決めたのも、コンスタンティヌス帝であります。 それまでは、初期キリスト教徒もユダヤ人が多かったため、ユダヤ教の定める土曜日を安息日としていましたが、キリスト教とユダヤ教の対立の中で、321年にローマ帝国のコンスタンティヌス帝は、キリストの復活した日曜日を休日とするよう強制し、日曜日が安息日となったのは、紀元364年のラオディキア教会会議により正式に決定されたもので、現在に至っています。

現代の我々日本人も、土曜日と日曜日の休日を楽しんでおりますが、ほとんど意識することのない我々日本の文化・習慣も、古代イスラエル王国やローマ帝国、またモーゼやキリストの影響を強く受けているのです。


当時、ローマ帝国は世界最大の覇者といってもよい存在であったので、ローマ帝国によって認められたキリスト教は全世界から認められたも同然で、こうしてキリスト教は今までにも増して発展のペースを速めるようになります。



YouTubeで聖書! イエスキリストの生涯
http://www.youtube.com/watch?v=kGX7m5wZh14&feature=related



私は、あまり宗教を信じておりませんが、神の下にいかなる人も自由平等で、博愛精神、男女平等、一夫一婦制、など教えそのものは、現代にも十分通用するもので、悪くないものであると思います。

コンスタンティウス(在位307-337)の後を継いだユリアヌス(在位360-363)はローマ神教を復活させようとしましたが、既にキリスト教はローマ帝国に浸透し再興ならず、その次の皇帝テオドシウス1世(在位379-395)はキリスト教ニカイア派を国教と定め、392年には他の宗教全て禁止し、キリスト教によるローマ帝国支配は完全なものとなりました。

このテオドシウス1世の死後、ローマ帝国は東西に完全に分離し、同時にキリスト教もまったく異なる発展をし始め、次第に埋められない溝ができてゆき、ついに11世紀には教会も東西に完全に分離する事になります。

東ローマ帝国の教会は、皇帝の庇護を受け、自らを「オーソドックス(正教)」と言い、西方の教会は「カソリック(公教)」と称し、ローマ帝国の衰退と共に強大な権力を得ました。

そして、西ローマ帝国の滅亡後、ローマ教皇が政治的な支配力を獲得するようになります。  





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