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2009/9/18

ローマ帝国の物語-94  西ローマ帝国の滅亡  ローマ帝国の物語

ローマ帝国滅亡原因となったのは、テオドシウスが死に際して、ローマ帝国をコンスタンティノポリスを首都とする東ローマ帝国と、ミラノを首都とする西ローマ帝国に分割し、二人の息子をそれぞれの皇帝につけた事にあり、テオドシウスが亡くなり、二人の息子が帝位を継いだ395年が、ローマ帝国の東西分裂の年とされています。

不幸な事に二人の息子は、ともに愚者でありました。




東ローマ帝国の皇帝となった長男のアルカディウスは、ほとんど実験を持たず、親衛隊長ルフィヌス、宦官エウトロピウス、皇妃エウドクシア、親衛隊長アンテミウスに操られました。

そして、西ローマ帝国の皇帝となった弟ホノリウスは、ギボンに「帝国史上まれにみる無能者」と称されたほどの愚帝であります。



ゲルマン民族の侵入に耐え切れず、東西分裂からわずか7年後に、402年に首都をミラノから、古代ローマ時代の要所であるイタリア中北部のラヴェンナに移しますが、遷都したからと言って防衛力が増す事はありませんが、西ローマ帝国にはゲルマン人のスティリコ将軍と言う切り札がありました。

しかしながら、国を救うために徴兵令を発した事で、平和ボケしたローマ市民に受け入れられず、スティリコはゲルマン人たちと通じているとされ処刑されてしまいます。
かつて、徴兵はローマ市民の義務であった事は、忘れ去られていたのです。



切り札を失った西ローマは、領土を次々に奪われ、まずゲルマン人がガリアに定住(413年)、ついで西ゴート族もガリアに住み着き(417年)、ローマ帝国の食料庫であった豊かなアフリカもゲルマン人に占領されました(429年)。

わずか6歳で西ローマ帝国の皇帝となったウァレンティニウス3世が暗殺され、455年にテオドシウス朝が断絶すると、帝国の衰退はさらに加速されます。

もはや、西に任せておけないと、東から送り込まれた皇帝と、ゲルマン人の傀儡皇帝が何の使命感もなく即位し、そして476年ゲルマン人傭兵隊長であったオドケアルが、ロムルス・アウグストゥルスを退位させ、東に帝冠を返還、ここに西ローマ帝国は滅亡しました。








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