renaissancejapn@aol.com

2006/1/21

東アジアとヨーロッパ-7  国際政治・金融・企業

ハプスブルグ家のカール5世の子供のフィリップ2世がスペイン国王となり、カール5世の弟フェルディナントが神聖ローマ皇帝の位を受け継ぎ、「太陽の沈まぬ帝国」ハプスブルグ家は、フェルディナントのオーストリア系と、フィリップ2世のスペイン系に分かれました。

フィリップ2世は、1557年にアンリ2世のフランスを撃滅、1571年にはレバントの海戦でトルコ軍を壊滅させ、破竹の勢いで、1580年にはポルトガルの王位も継承しました。

日本では、1573年に室町幕府が滅び、織田信長、豊臣秀吉の安土桃山時代(1573−1600年)の話で、日本との関係もポルトガルからスペインに移ってゆきます。 織田信長が本能寺で暗殺されたのは、1583年です。


この頃、イギリスではヘンリー8世と2番目の妻のアン・ブーリンの間に生まれた、エリザベス1世(1533−1603年)が活躍した時代でもあります。 ご存知の通り、父親のヘンリー8世は、残虐な国王として有名で、またイギリス国教会をつくった人でもあります。 

イギリスは、もともとはカトリックでしたが、ヘンリー8世が最初の妻キャサリンと離婚する為に、離婚を禁じていたローマ・カトリックから離脱し、イギリス国教会をつくったというハチャメチャなものであります。  

また、キャサリンは敬虔なカトリックで、その娘がメアリーです。  メアリーは後に王位を受け、メアリー1世となりますが、カトリックと母親アンを裏切った父とプロテスタントへの復讐で、カトリック復帰を徹底し、プロテスタントの指導者を約300人も殺害し、徹底的にプロテスタントを迫害しました。 この事件から、Bloody Mary(血まみれメアリー)と呼ばれ、今日ではウオッカベースにトマトジュースを混ぜた真赤なカクテルの名前(Bloody Mary)となっています。 彼女は、スペイン国王フィリップ2世と結婚しています。

何を思ったのか、メアリーが他界した後、フィリップ2世は、エリザベス1世に求婚しまし、断られてしまいました。 何故なら、エリザベス1世は、ヘンリー8世の2番目の妻アンの娘であり、イギリス国教派であり、アンチカトリックであったからです。 エリザベス1世の時代には、カトリック教徒は迫害され、イギリスとスペインの関係は悪化してゆきます。

また、フィリップ2世は、熱心なカトリック信者で、プロテスタント(カルヴァン派)の
影響が広がっていたネーデルラント(オランダ)で、プロテスタントに激しい圧力を加え、1566年にカルヴァン派の民衆が、聖像破壊暴動を起こすや、これを厳しく弾圧しました。 これに激しく抵抗した、ネーデルラント北部7州は、1581年に独立宣言を行いました。 このネーデルラントの背後では、プロテスタントであるイギリス国教会派のエリザベス1世が糸を引いていたのです。

スペインとイギリスの関係が悪化し、追い討ちをかけたのが、エリザベス1世によるスコットランド女王メアリー・スチュアートの処刑で、ここに至りスペインはさらに険悪化し、オランダを応援するイギリスを叩く必要に迫られたフィリップ2世は、イギリス侵攻を決意しました。

1588年に「スペイン無敵艦隊」をもって、ドーバー海峡で決戦しましたが、大敗北を喫し、17世紀のスペインは、時代の主役の座をオランダに譲ることになりました。  そうして、徳川時代の日本との貿易相手国はオランダであったわけです。

イギリスは、オランダと長く海上権を争い勝利し、インドやアメリカ進出ではフランスに勝利し、暴力(軍事力)によって世界覇権を手中に収めていったのです。

エリザベス1世は、一生独身であった為、「処女王」とも呼ばれましたが、今日のヴァージニア州の名前は、ヴァージンであった彼女の事から名付けられたものです。

どうでも良い事ですが、彼女にはダドリーとエセックスの愛人がいたので、本当のヴァージンではなかったと思いますが、エセックス伯はエリザベス1世に処刑されています。

このエリザベス1世といい、血まみれメアリーといい、彼女らの残虐性は、父親ヘンリー8世の血をひいているからだと思われます。



2


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ