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2009/10/25

マキアヴェリ  -13  マキアヴェリの山篭り  マキアヴェリ 

失意の彼は、その後近郊のサンタンドレーアの父の山荘に引きこもります。  両親はすでに亡く、家庭には無教養ですが家族思いの妻マリエッタ・コルシーニと10歳にも満たない子供たちがいました。 


当時の生活様子は、親友ヴェットーリ宛ての手紙「書簡集」1513年12月10日付けに詳しく書かれています。

早朝、ベッドを離れ森に出かけ、きこりたちの仕事の監督をし、時には泉のほとりでダンテやペトラルカの史を読みふけ、昼下がりは居酒屋にたむろする村人たちと気のおけない雑談や賭けに夢中になり、時の立つのを忘れていました。

「君主論」の結びには、ペトラルカの名歌「わがイタリア」に一節が引用されています。

日が暮れると生活は一変し、在職時代の官服に着替えて、威厳をただし書斎の人となり、約4時間古典を紐解き、古代の著述家と心の対話を楽しみ、原稿にペンを走らせました。  ここでの仕事は、「ディスコルシ(論考)」、正確には「リウィウスの初巻10編をめぐるディスコルシ」であります。

この時代、フィレンツェの書記官長は、おおかた人文主義者が勤め、レオナルド・ブルーニ、コルッチョ・サルターティ、彼らはみんな祖国の共和制を誇りとし、宿敵ミラノの専制君主制
を手厳しく非難しました。

必然的に古代の共和制ローマに関心を持ち、その時代に政治上の指針を求めるががゆえ、追放後の閑暇のなかで、マキアヴェリがまずリウィウスを読み返したのも不思議ではありません。






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