『伊藤家の石垣』
杉木立に埋もれる「伊藤家の石垣」
昨年の今頃、潮岬・出口渡船に通うなかで知人の方から「古座川の奥に伊藤家の廃屋があり、そこの石垣が白いというのを聞いたことがあるんやけど、・・・」という話を聞きました。
これは聞き捨てならないと思い、さっそく古座川町役場を訪ねて「伊藤家」についてお聞きしたが、詳しい情報は得られませんでした。杉も植えられて埋もれていて分かりにくいでしょうということでした。
それでも行って見なければと、ハッチョウトンボの里の近くを通り、「滝の拝」をまず見学してカメラにおさめました。
そして、伊藤家が「大桑(おおぐわ)」辺りにあると聞いていたので、「滝の拝」からの山道を車で登り始めました。この道は舗装されてなくて崩れた石が散らばっている道路でした。「落石注意」の看板がよく見られるところなので、「落石注意といわれてもなー、上から落ちてきたら避けようないもんなー」とのんびり構えながら「滝の拝」から少し登ったところまで来た時、「バーン!!」とタイヤが破裂。何じゃこれは!!ですわ。尖がった石をタイヤが踏んでしまって、それがタイヤの側面に当たり裂けてしまったのです。「落石注意とはこういうことでもあったのか」とあらためて認識した次第です。
「滝の拝」の村までゆっくり下りて、役所(支所)でお世話になりスペアータイヤにして串本まで戻りました。たまたまガソリンスタンドに同じサイズのタイヤがあり交換できました。やれやれ!!
今でも悔やむのは、パンクさせたその石をデジカメで撮っておくべきであったと。
それから1年、今年の再挑戦です。白い石垣って、どんな石で出来ているのだろうかと考えていました。石英ではないだろうし石灰岩もこのあたりにはない、とすると「滝の拝」で見た白い砂岩しか考えられないなという結論になりました。
パンクした忌まわしい道路は途中で工事中・全面通行止めでした。それで、「滝の拝」の手前にある「山手」という村で聞いてみると、この村から林道が通っていて「大桑」に通じているということが分かりました。
道は狭いが、なんと舗装をしていました。それでも落石を避けながら進むと、目的の「大桑」の道路にたどり着きました。しかし、「伊藤家」は全く見当がつきません。人が住まわれている一軒家があると聞いていたので探しました。その家は道路沿いにありすぐに見つかりました。そこで「伊藤家」について伺ってみると、1キロメートルほど戻ったところで、そこにある橋を渡ると良いと教えてくれました。「伊藤家」については、歴史的な資料が残っていないので分からないが静岡から来た人らしいこと、殿様の御殿のような構えであったと伝えられていることなどお聞きしました。
この橋を渡って左側に屋敷跡が広がっていました
もと来た道をもどって橋を見つけました。そこは、「山手」村からの林道と出会うところだったのです。車を道脇にとめて橋を渡り探索しました。
杉木立のなかに立派な石垣が見えてきました。しかし、特別に変わった石垣でもなく、白くもありませんでした。期待していただけにがっかりしました。
奥に進むと建物の基礎に敷かれた石組みが見られ、そこには柱などが朽ちて倒れており、屋根瓦も散らばっていました。
朽ちた柱や屋根瓦が折り重なっていました
さらに一升瓶や茶碗の欠片などなまなましい生活の遺品も見られました。こうしたものを目にすると、何かもの悲しくなってきます。
瀬戸物の欠片が散らばっている
谷川が「つ」の字にカーブしている場所をうまく利用して邸宅が展開されていたようで、谷川の縁や迫る山すそも石垣を積んで固めうまく防御もされていたようです。
谷川の流れ 左側は屋敷のある方・石垣が組まれている。右側の上に道路がある
このように何段にも石垣が組まれて敷地が整備されてきたようです。
こんな不便な山奥で林業を営まれていたのでしょうか、庄屋さんぐらいの規模の屋敷を構えて暮らしていたということだけは事実です。御殿のような華やかな様子を思い、そして廃墟となっていく過程を想像すると人の世の移ろい易さを思わざるを得ません。
「白い石垣」はみられませんでしたが、なにかすごいドラマを見てきたような気持ちになりました。
帰り、七川ダム・佐田の桜あたりに出るだろうと思い走っていくと「一枚岩」の手前、飯盛岩のところに出てきました。
先に記した「古座川の案内図」を部分拡大しました。「山手」から「大桑」までの赤い線が林道です。「大桑」の道路と交わるところに「伊藤家」があります

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