2021/1/19

舳先飾り板  
水押と棚板の間に隙間があります。
佐喜浜丸は浪華丸とは違って水押が内水押、外水押の二材で形成される
晩い時代の構造になっています。各棚板は内水押にトオリクギで固定されています。
外水押は飾りのように後付けされています。外水押は二個のダボで固定されているのですが
ダボから少し抜けて、写真の隙間が出来ています。

上棚板の下の飾り板は釘が腐って外れかけています。
外してみると内水押に打ったトオリクギの頭穴が見えます。
クギは腐って上棚板の先端は内水押から1cm以上離れていますので
元の位置まで押し戻して接着とステンビスで固定します。
飾り板の下はネジ細工が隠せるので丈夫に直せます。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/17

串本櫂伝馬  
プロの模型屋さんが作られていた串本櫂伝馬1/15模型が完成しました。
土佐和船模型キットの船体をベースにし、コベリや甲板を変更し
櫂を取り付けています。
土佐和船キットは故弘光船大工の作られた20尺釣り舟を計測した
図面を基に全パーツを1/10にしてキットを組んでいます。
10倍に大きくすれば本物が出来上がります。
土佐和船模型を作ってみたい方がおいでましたらご連絡ください。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/17

四通り  
弁財船1/3雛形ヒガキ君の写真を見ていて 四通り が分かる写真を見つけました。
中棚の先端、急な捩じり部分がクリンカー張と言うかバイキングシップと言うか
和船にはあまり見かけない工作がされています。
1/10模型佐喜浜丸では板が15mmと薄いのでクリンカー張りにはしていません。
四通り を再現すると面白いですね。クリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/16

唐貝立  
唐貝立が下りて来ないのは、以前に壊れてきた船体に釘を打って修理した
その釘が邪魔をしているようなので、太い釘を抜いたらスムースに
写真の状態の本来の位置に落ち着きました。ほっと一安心。
今はシャコ万で仮に押さえています。本来ははめ込んであるだけのようですが
抜けて来ないように接着して固定しましょう。

今日は折れた垣立を接着修理しました。6本折れていました。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/15

唐貝立  
唐貝立の部分を上から押しても本来の位置までは下りてこないので、一度唐貝立を外してみました。
右から二本垣立(一本は破損)が並び、その奥に矧付の先端があります。
矧付先端は波関の溝にはまり、波関と平行に横山があります。
浪関、横山の左端の向こうには五尺立があり、それより左は五尺です。

外した唐貝立です。銅板飾りは一部無くなっています。
波関と横山との間の板が一部残っています。
波関と横山の間に隙間があると船首甲板に打ち込んだ波が
舳先の合羽、雨除け部屋に流れ込むので船大工としては板で防ぐでしょうが
浪華丸の建造要領には 隙間が開いたままになっています。
浪華丸の舳先の合羽は塞がっていたように思います。
20年以上前の記憶は曖昧ですから、もう一度浪華丸を見てみたいですね。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/12

台の先端  
左舷垣の台の千切れている先端です。唐貝立が嵌るように ほぞが切られています。
浪華丸建造要領と同じように細工がされています。浪華丸建造要領は弁財船、菱垣廻船を勉強するには最良の参考書です。
この部分を台に接着するのには ご飯粒をノリにしてくっ付けると良いと 模型製造の専門家から提案を受けました。
エポキシと違って接合部分が全く分からなくなるそうで、強度は十分あるそうです。
漆よりも古いでしょうが、水には弱そうです。
銅板銅釘は200年近い年月を感じさせます。他の部分を修復するために0.3mmの銅板を購入しましたが
色が全然違うので どうするべきか悩んでいます。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/11

唐貝立  
垣の台を船梁に二か所で固定したので二番船梁での高さが元に戻りました。
上から少し押してみると唐貝立 五尺立とも大分下がって来ました。
次の作業は接着した左舷矧付をビス留めして、垣立の破損を直し
波関を矧付先端に嵌めて固定し、唐貝立下端をはめ込み、五尺立を下ろしましょう。
うまく行くかなあ。
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2021/1/10

到着時 左舷舳先  
佐喜浜八幡宮から工房に到着した時の写真です。

垣の台が二番船梁 三の間船梁から外れて浮き上がり、台の先端はちぎれて残っています。
唐貝立は二番船梁から外れて浮き上がっています、五尺立もずい分浮き上がっていました。
今になってみて、どこが壊れているのか 良く分かります。
各部の名称も少し分かるようになりました。
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2021/1/9

右舷唐貝立  
前回エポキシで接着した右舷の矧付から上棚にステンビスを打って補強しています。
垣立の間が狭いのと雨押えが邪魔をして短いビスを頭が見えるようにしか打てませんが
筋が付けば見えなくなる所です。

右舷の垣の台、唐貝立、垣立はほぼ本来の位置を保っていますので
左舷側修復の良い参考になります。
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2021/1/9

直艪  
アルミのパイプに艪脚と艪腕を直線に繋いで、軽い分解して持ち運べる
直(線)艪を作ってみました。
横に並んでいるのは現在標準となっている 艪脚と艪腕を ヘ の字に接合し
艪臍を艪杭に載せて漕ぐ艪です。

古くは曲がっていない直線状の艪があったようです。
四万十川舟には直艪が使われていまして、十和村(とうわむら)の
川下りの事務所入り口には四万十直艪が軒先に吊るしています。

標準艪では艪臍の出っ張りが艪の回転軸中心となって
自動的に返ってくれたり、軽く漕ぐ事が出来ます。

直艪では艪臍の出っ張りは不要になり
艪腕に穴を掘って艪杭をはめるとバランスが取れる理屈なのですが
漕いでみないと 分かりません。
早く暑くなって川舟で遊べる時期が来るのが待ち遠しいです。クリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/8

左舷矧ぎ付け  
左舷の上棚と矧付の隙間を元の位置に戻し、エポキシパテで接着しています。
本来の留めてあったオトシクギはボロボロに腐食して板を割って外れています。
寒波が来て室温は10度位、温風機で接着部分を温めながら、人間も暖まりながら
作業しています。5度を切ると樹脂が固まらなくなるので
帰る時にはホッカイロを何個か上棚に貼り付け、毛布で囲って夜の寒さに備えます。クリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/6

舳先  
後の時代に取り付けられたと安達先生も指摘された舳先の部材を取り外しました。
随分スッキリしました。
波関と矧付が外れ横山の位置も前に出ています。
この辺りは唐貝立の位置が決まれば順次治ってくると思います。

前間板、船首甲板が外れてくれると、
その下の水押と中棚、上棚の接合が外れている部分が良く見えて修理がやりやすくなるのですが、
甲板と五尺を接合している部材、地敷があるので外せないようです。クリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/5

左舷唐貝立  
左舷の垣、唐貝立、五尺辺り 安達先生が破損が酷いと言われた箇所の状況です。
垣の台は上棚を貫通している梁から離れています。以前に木ネジで固定しています。
垣立も破損した物が多く、接着して直します。
今回の補修では棚板に貫通している梁がしっかり固定されて修復の基準になるので
この外れた台も梁に密着するように位置を戻し、接着と梁の下からのステンビスで直します。
唐貝立周りはかなり無残な形状を呈しています。
台の先端、銅板を巻いた 二番船梁に載っていた部分は二つに破損しています。
接着して元の形には戻せますが、台を支える強度は期待できません。
唐貝立はホゾから外れて浮き上がり、五尺立も波関、横山もズレています。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/3

仕事始め  
正月二日仕事始めです。
右舷の矧付の前の端、合羽の甲板が載る辺り、上棚との間が口を開いていたので
エポキシパテを詰めてシャコ万で上下から力を掛けると うまく密着して
パテが押し出されてきました。昼頃室温は小さな電気ストーブをつけて15度ほど
エポキシの為には温度を上げておかなければいけないので夕方まで作業をしていました。
おかげで川舟用の三分割の軽量、直線艪が大分出来ました。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2021/1/3

金毘羅様  
初詣に高知県南国市十市(とうち)の金毘羅様に行ってお札を頂いてきて
和船工房の神棚にお祭りしました。
私の神棚のご神体は野本謙作大明神から頂いた絵葉書です。

十市の金毘羅様の本殿には鯨舟や明治時代に浦戸湾で盛んに建造された
丸型西洋帆船の模型が奉納されています。
写真の三本マストのバーゲンテインは、野本先生が春一番に乗って日本各地の
舟の資料を調べていた時に、破損して神社の倉庫に眠っていた舟を発見し、
歴民館で船体ラインズを計測し、友人と修復し、
母が帆を縫って飾り付け再度奉納した物です。

コンピラという言葉はガンジス川の鰐が神様になったクンピーラから来ており
黒潮に乗って東南アジアから渡ってきた航海安全の神様です。
どんな舟で海を越えてきたのか想像すると楽しくなります。
香川県琴平町の金毘羅様よりも土佐の金毘羅様の方が建立の年が古いそうですから
南の方の金毘羅様の方がもっとずっと古いのかな などと想像します。

今修復していますベザイ船の名前の由来は不明だそうですが
弁才天、琵琶の原形を持った美しい女神は中国で漢字に変換される前は
インドではブラフマンのお妃 サラスヴァティだそうで、
今は枯れて無くなったインダス文明に関係の深いサラスヴァティ川が
神様になったようです。川の神様だから水の神様でその上に浮かぶ舟の名前になってもおかしくは無いと思えます。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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