高校時代、週末になると電車に乗ってM市に行った。
子供の時は教会に行くという足かせがあった。
中学後半からそれが苦痛になった。
そして、高校受験の拍子でその習慣から抜け出せた。
日曜日の午前中・・・それが解放された。
M市の駅を出ると朝のすがすがしい地方都市の駅前の休日、が展開されている。通勤する風景から、少しハレの姿でデパートなどへ出かける家族、女性。バスの頻繁な出入り。店舗の前に水を打つ風景。
ボクは、家にいる事がイヤだったのだ。
駅を出て左手の方向に目的地はある。
「Mオデオン座」
三本立てのリバイバル上映館だった。
徒歩で15分ぐらいだろうか?
ボクは、東映の前の道を抜け「宮下銀座」というアーケドのある繁華街に行く。
まだ朝の八時過ぎだ。人もまばらな道を映画館へと歩く。
上映開始は10時だ。
高校生のボクは、こんな時間に何処へ行くのか?
「喫茶エイト」「喫茶葵」そのどちらかだった。
そこでホットコーヒーかホットミルクと赤いウィンナーソーセージの入ったロールパンのホットドッグを食べるのが楽しみだった。
地方都市の日曜の朝である。
どんな大人たちが客だったのだろうか?
今思えば、ギャンブルに向かう人たちだったのか?
コーヒー120円
ホットドッグ80円だったような記憶がある。
そんな中に入り、ボクはその秋は何を読んでいたのだろうか?
庄司薫「赤頭巾ちゃん気を付けて」「さよなら怪傑黒頭巾」
高橋和巳「憂鬱なる党派」「邪宗門」
その辺だろうか?
既に時代は全共闘の終焉とともに、赤軍派の登場からアラブゲリラ・テルアビブ空港乱射事件と時代の閉塞感とともに、地方の高校生は、ただただ受験に伴う憂鬱な時間を先延ばしする方策を考えていたのではないだろうか?
同時に、矛盾するようだが、記憶の中にある高校生活は、どうにかして時間を早送りしたいとばかり思っていた。
退屈だったのだ。
喫茶店でタップリと時間を費やしたボクは、映画館に歩き出す。
もう何人か並んでいる。
所在無げに、ウィンドウのポスター、案内などを見ている。
その人たち、映画館のエントランスに秋の陽射しが当たっている。
ドアが開いた。
ボク達は映画館の中に入り、パンフなどを取り、ホールのソファに座る。
開始直前に、スクリーンの前に座る。観客はまばらだ。
やがてブザーとともに予告編が始まる。
秋の陽射しが爽やかだろうと、ボクは映画館の暗闇の中にいるのが好きだった。
そこには時間を先送りできる装置があったからだ。
それは同時に愛すべき時間をとどめておく事も出来る装置だった。
それを、青春と呼ぶことに戸惑いを覚えながらも、それは紛れも無く青春だった。
続く。

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