後任所沢店長がオーナーの不興をかい配置転換、またボクが週一で巡回指導に行く事となった。
たぶん一年後ぐらいだったと思う。
焼き鳥Tにみんな集まってくれるも、肉体的に相当ハードだった。
それも辞めた理由のひとつだった。
身体がおかしくなっていた。
住んでいない所沢は旧交を温めるも、すこし遠すぎたし、その日に友達がいるとは限らないから。
そうして会社を辞めた。
前に書いたフライフィッシングを本格的にやりたかった。
疲れていたんだ。
「深夜ビルの怪」に再就職した。
ある日、ちょっと噂になったMから電話があった。
電話で探すのは簡単だったんだろうか?
Mは程なくしてHのところを辞め就職したらしい。
錦糸町駅前の喫茶店でMと待ち合わせた。
彼女は神田の証券会社に勤めていた。
証券界初のブラックマンデーがあった年だ。
所沢から3年の月日が経っていた。
Mには借金があった。
散らばっていた返済を、ローン会社を一本にし新たに長期で組みなおし、支払をしている。大金だった。
それをローン会社に一緒に行きその交渉をしてあげた事がある。
仕事柄、クレジット、ローンの扱いは得意だったから・・・。
つまりボクは保証人だった。
それが二年前の事だ。
ちゃんと返してます・・・
彼女もその後病気に係り入院していた。
噂だけは入ってきていた。
借金の理由を知っているだけに彼女が可哀想だった。
病気のことを切り出すと彼女はボロボロと大粒の涙を流した。
なんか借金を迫ってるブローカーみたいだから泣くなよ〜
そういってボクもボロボロと泣いた。
「Kさんの妹さんね結婚したよ・・・でも、流産して別れちゃったみたい」
突然妹の話が出てきた事に動揺した・・・。
妹までが・・・肉体的に遺伝のようなものがあるのだろうか?
HとK子の事は知らないらしい・・・。
「深夜ビルの怪」会社で一年ぐらいいたある日、身体に異変が起こった。
金縛りにあったわけではない・・・
腎機能障害の疑い
前に書いたが、父は36歳のときに亡くなった。腎臓病である。
当時は人工透析などなかった。
ボクは31歳になっていた。
その年齢を超えられるのか?子供にとって36歳はひとつのメルクマールだったのだ。
恐怖だった。
会社を辞め、実家に帰ってきたのだ。当時ボクはある人と暮らし始めていた。その事は書かないけど・・・
ボクは1年間釣りをし、友人のいる設備屋で1年間バイトをした。
精密検査で何の異常もなくなっていた。
その後陶芸の世界に入るのだが。
ボクが独立してからいろんな話が入ってきた。
Hは借金を作って逃げたらしい。
ボクのところにいるのでは?という噂もあった。
K子は周りの離婚の勧めにも応ぜず一人で生活していた。
彼女はHを本当に愛していたんだ。
そしてHと再会できないまま病死した。
Hは別な県で暮らしていて清算が追いついてきたところだった。
K子も返済をしていたんだろうか?
HはK子の葬儀の後に来て遺影を前に号泣した。
「所沢グラフィティ」 了
*真実を書きました。
思い出にある所沢は、Tの店でのみんなの笑顔ばかりです。
お店の扉を開けると、みんながいて、釣りの話や、仕事の事や・・・あんまり実りのなかった一日に終止符を打つべくバカ騒ぎしていた日々。
HもK子も、もうそこにはいないんです・・・。

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