雨がシトシト日曜日
ボクは独りで
君の帰りを待っている 「モナリザの微笑み」 ザ タイガース
雨の日曜日に更新したかったのだ。・・・たいした意味はないけど。
小5の時にIくんという友達がいた。
駅前で旅館を経営する金持ちだった。
そいつが小6に上がる時に、転校していった。
転校?
だって、駅前に旅館があるじゃん!
みんなで話したものだ。
朝校だって・・・?
誰かが言った。
朝校って?
そのころ在日と言う言葉を使う人は居なかったと思う。
電車で通うようになったI君と会うことはなかった。
(高校の時に再会するのだが・・・。)
小5〜6の時、もう一人秀才T君と3人が同じクラスになった。
小学校高学年は、それなりに仲が良くはあったけれど、それぞれの複雑な家庭環境、と言うようなものが見え隠れして、少しずつ距離を置いていったいったような気がする。
番長SがボクもTもすこし嫌いになり始めていたのか・・・。
秀才であったTがなんで友達になったのか?
それはプラモデル造りがとっても上手だったからだ。秀才=理数系にありがちな、マニアックな風を湛えていた。
Sはよく高いプラモデルを買ってTに造らせていた。
自分で造ってこそ楽しいんじゃないのか?
ボクとTはそう思っていた。Tは嫌々造っていたと思う。
また、そんな大金を持っているSが、少し遠い距離にあるように感じられた。
ボク達は中学生になった。
入学式の朝、中学校のグランドの野球場のバックネットにクラス名簿が張り出された。
SとTとボクは同じクラスだった。
ボクとTは顔を見合わせた・・・。Tは明らかに落胆した顔だった。
Sは野球部に入った。Tはラヂオクラブ。ボクは剣道部に入った。
それぞれの路を歩みだしたかに見えた。
野球部は、前年度県大会に出場しており、練習も相当きつかったようだ。
また、例の隣町S町の人間と合流するためナンダコイツ!という先輩までいるし、Sはオトナシクなったようだった。
だがご多分に漏れず、一年続かずに退部。
ボクは剣道部で大活躍だった。
4月から始め、6月には人数が足りずに試合に出た。
相手は2〜3年である。
勝てはしなかったが負けなかった。
その後、ある放課後の練習で先輩が面を付けずに一年に打って来させる、というのをやった。、まぁ、初段ぐらいなんだから、簡単に竹刀で撥ね退けられるし、ぼく達を打ち据えるなんてのは、まさに大人と子供、といっていいだろうか。
しかし、ボクはそこで、ある先輩の口に「突き」を入れ怪我をさせてしまったのだ。確か冬の試合の前だ。
彼に非があるのは明らかで、他の先輩もボクにやられたその技術のなさを責めた。一年のボクは居た堪れなかった・・・。
その突きを入れた先輩はウチの近所だった。子供の時からどうも相性が悪かった。つまり、ちゃんと話したことがなかったのだ。
ボクは居づらくなった。試合の終わった2月に退部・・・。(そこでもボクは二勝二引分けなんですが・・・)
挫折といえば言えるのだろうか?
そうして長い放課後が・・・運動部を辞めた敗北感、屈辱感、挫折感のない交ぜとなった長い放課後が、ボクとかつての番長Sにやってくるのだった。
清掃の終わった午後3時過ぎの教室・・・。
ボクとSはあることを始めるのだった。
続く。

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