カリキュラム 3 夏のはじまり。
指導所は県の施設だから、役所と同じように休みがある。
研修生は、全国から集まってるので、約一週間ぐらい設定されていた。
職員は、お盆休みの三日間だけだ。
「今年は新潟の渓流でも行こうかと・・・」
当時の、N所長に言うと「イイナー、オレも連れてけよ!」
ナドと話しながら、フライラインの手入れなどしていたのだった。
多少、ロクロが慣れてきたのもあって、ボクは浮かれていたのか?
Yさんの死。
彼女がある病気に掛かっていた事は知っていた。
広告代理店のコーディネーターだった彼女とは、同期の人間として、様々に辛苦をトモにし、仕事を成し遂げていった仲間だ。
彼女の訃報を聞いた時、三年前の津田沼の病院で会った彼女の姿が浮かんできた。
少し髪が薄くなっていたが、いつものように会うとヘラヘラ冗談を言って元気さをアピールしていた。
「陶ちゃん(違うけど)、彼女は?」
などと笑っていた・・・。
それが最後の姿だった。一つ年上だった。
当時の指導所は冷房などなく、暑かった。
蝉の鳴き声と、ロクロのブーンという軽い電動音だけが聞こえている。
その日はロクロが手につかなかった。
「オレだけ一抜けた・・・か・・・敵前逃亡じゃねーか」
そんな想いが頭の中をグルグルまわった。
静かな研修室で、タオルをカブってロクロをひいた。
泣いていたからだ。
周りには、暑くて、汗がな〜・・・と、言った。
「自分の人生は、自分で決めるのモノよ・・・誰も守ってくれないんだから・・・」
会社を辞めるかどうか悩んでいた時、彼女はそう言った。
その時自分の病気に気が付いていなかったのか?
既にその病が彼女の人生を決定していたのか・・・?
2〜3日ボーッとしていた。
敵前逃亡・・・。その言葉がしばらく離れなかった。
みんな身体壊しても、東京にいるじゃね〜か・・・
何が天啓だよ・・・オレはなにをしてるんだ・・・?
夏休みが始ろうとしていた。
敵前逃亡!
・・・おれは何のために笠間に来て修行をしているのか?
あらゆるモノを捨てて、いろんなものから逃げてきたくせに・・・
いい歳して、研修している身で、しかもぜんぜんダメナくせに、
釣りだと?何を考えているんだぁ〜?
そんな考えが、一気に自己を責めさいなみ始めた。
翌日N所長に
「釣り止めました。そんなことしてる時じゃないような気がして・・・」
「良く気が付いたな、休みの間来ていいぞっ!」
何歳になっても判ってくれる上司(違うけど)と会えるというのはいいモノだ。
夏休み期間中は、職員も面白がって、集中ゼミの日々だった。
夏休み中当然職員は暇で、私個人への集中指導が施され、粘土作り、釉薬調合、もちろんロクロ成形まで、解らない所はナイ!と言うぐらいにまでやった。
充実した1週間を過ごした。
この一週間が、格段の陶芸へののめり込み、自分で言うのもなんだが、相当なレベルアップを図る結果となったのだった。(受験のような話で申し訳ない)
釣りに行っていたら、ボクは独立できていただろうか?
釣竿を封印したのは、そういう訳だ。
そして、かつての仲間の女性の死が、相当なインパクトを持ってボクの方向性を変えてくれた・・・。
ボクの記憶の中の最大の転機は、この夏の一週間にあったと言っても過言ではない。
少しずつ、過去の記憶も癒され、
更に修行は続くのだった。
*研修中は、常に粘土を触る、ロクロを回す、焼き物のことを考える。
そういう風に追い込む事が大事だ。つまり縛る。いつかそこから開放された時に、自由に創作するために。
釣りぐらい、いいのかな?とも思うけれど・・・。
続く・・・!

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