もう九月に入っていた。
その頃になると工房も出来上がり、友人Tは泊りがけで工房の造作等を手伝ってくれた。今ある棚や台、下屋の棚など二人で造った物だ。
外溝工事も同時進行だったが、コレはもう少し時間が掛かりそうだった。
I町の大家に電話をしてみた。
Yさん来たけどなにか話し有ったの?
陶ちゃんもう来ないかどうか聞いていたから、そっちに行ったろ〜?
あの夫婦はヒマだから・・・
ナンデいる間に贈り物上げないんだ、って言ったんだよ〜
陶ちゃんいなくなってからばたばたして・・・
相変わらずのば〜ちゃんの毒舌だ。
が、その通りだった。
ボクは来られて迷惑なのだ。
お茶を出せる環境にもなく、汗を掻きながら造作している・・・
彼らはナカナカ帰らなかったからね・・・
しかし、その気持ちはありがたかった。
そしてもう二度と会うことはないんだな、と思った。
そうして友人Tと毎晩酒を呑み、翌日は造作・・・コレを一週間ぐらい続けただろうか。
友人Tは今のボクと同じで、5時ごろに目が覚めてしまう。リビングでテレビを見ていたりする。
ボクは連日の疲れでナカナカ起きられなかった。
ある朝起きてみると、友人Tが言った。
早く起きないかな、と思っていたよ〜
陶ちゃん・・早くテレビ見ろよ!
起こそうかと思ったよ〜
テレビではジェット機がビルに突っ込む映像を繰り返し放送していた。
夜中の2時ごろから放送始まったらしいよ!
凄い!
友人Tは興奮していた。
「9.11」である。
ボクは疲労からか、何が起こっているのか良くわからなかった。
そんな事より造作を終え、早く仕事を始めたかった。
とんでもない量の注文を抱えていたからだ。
つまり、9.11の衝撃は、友人Tのテレビ的興奮と、引越しに伴う疲労の中で冷めた出会いとなってしまった。
何も感じなかったのである。ニュース、ワイドを全く観なかったから、と言う事もあった。
仕事に取り掛かれる情況になっても9.11事件はテレビを賑わせていた。
9月の中旬から翌年の一月まで、ボクは夜中までロクロをひき、窯を十何窯と焚き一月末までに納品した時には果てしなくくたびれていた。
その間に親戚だの近所だのがやってきて家を見せろ、だの、その転がっている器くれ!だのボクを激怒させ続けた。
例の役所恫喝だのもみんなこの時期である。
その疲労困憊・消耗がある意味I町からの完全な別れを意味していた。
もう彼らに会うことはないな・・・
ボクはI町の憂鬱から逃れ、笠間の新住人となった。
う〜む・・・一応 了

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